私心を捨てて鬼の心で仏の顔〜都知事選に観た事

初の女性都知事が生まれましたね。

20160802_100646.jpg
回想しながらのカフェ。銀座の北欧系「オスロコーヒー」にて。

私は特段、小池さんを応援していたわけでもなんでもないのですが、(かといって反目しているわけでもない)

選挙ポスターが開示された瞬間から、「ああ、この人がなるんだな」とわかっていました。(正確には感じていた)

(というと結果出てから言いやがって、な感じもするから、ちょっとカッコ悪い感じですが。ここのブログは私が自分の両親と会話する時のリラックスした本音モードで綴っているので、まあ、許していただけたらです^^;)

変な話、私には彼女が選挙に大勝ちすると見えていた、感じていた、わかっていたので、「じゃあ、まあ、他の人に入れるか」と、特に次の世代の人間を育て応援しないとね、という発想の私は、某お若い(?)方に投票したのでした🌟(私はちょっと変わってる!?w)

さて、なぜ「わかった」のかと言いますと、ズバリ「気」、別名オーラです。

凄みとか、迫力とか、気迫とか言った言葉も当てはまるでしょう。

私のトレース能力によると、「この気は、背後の占い師か何かに<今度はあなたが必ずなるから>と太鼓判を押されていたかのごとくの、確固たる自信、不動の確信を持って臨んでいる!」だったのです。

それは、他の候補者に誰一人として視て取ることはできませんでした。

表の姿勢とは裏腹に、深層心理に隠し持っているものは、オーラとして透けて浮かび上がってくるものですが、小池さんほど「自分が選挙に勝っている姿をまっすぐに見つめて、コツコツ選挙レースを走っていた」方はいませんでした。

それもそのはず、日本の運命としても、小池さんに決まることが布置されていたわけでしょうし、他の方で「自分がなっている姿が視えて」走っていた方は居なかったと思います。(そういうオーラを出している人は誰もいなかった。どこか不安と揺らぎと恐れを、一ミリ二ミリでも抱えていたと、お見受けしました)

もともと目鼻立もくっきりとしていらっしゃるために、人目を惹くルックスをお持ちの小池さんではありますが、今回の選挙戦は今まで以上に「どうしてこんなにもエネルギーが重いのだろう???」と興味と違和感を感じていました。

好奇心から小池さんの所有する自然エネルギーを調べてみたのですが、、、するとなんと、この2016年7月は「乙未」で、土の性質だらけが極まったタイミングとなったのです。土の性質が極まるということは、土が「人徳」「魅力引力」を現すために、選挙なんかでは爆発的パワーで一致します。

小池さんは宿命的に、徳の非常に高いエネルギーを持っています。しかも「頭角を現すことは必定」(壬戌)「たくさんの人間の真ん中で」(丁未)それも「高い打点から眺め見下ろし目配りをする」(壬辰)指向性のかた。「戌・未・辰・未」と土だらけ〜〜〜@@

そこへ持ってきてご本人の「心の器」が「私心を捨てて、鬼の心を持って仏の顔で」の状態であったのだということが判明したのは、昨日の朝日新聞の某記事を読んでのことでした。

「私が都知事です」って顔に私には見えました、ポスターの段階から。

20160802_100919.jpg

この気迫でいられたら、周囲は巻き込まれてしまいます。

このかたのこの「姿勢」に私は学ぶものが、今回非常に多くて、改めて敬意を抱きました。

あらゆることに通じる、真理が、体現された選挙戦だったのではないでしょうか。

このブログをご覧に成っているあなたも何に対して

「不動の確信と確固たる自信」を抱いているでしょうか?

そこに愚痴レベルならありうるかもしれませんが、迷いがあってはなりません。

特に私たちが無意識に認知している魂・精神のテーマは、現実世界においては「時間」がいるために、そのプロセスを一歩一歩、たゆみない努力を持って前進することは、生半可なことではないでしょうけれども、時を超えて、同時に時を刻みながら「私は必ずそうなる」と「なりきり」のところに、「現象化」は舞い降りるのであります。

念じましょう。自己催眠をかけましょう。「私はもう○○だから」。

仕事のことでも、お金のことでも、愛情関係のことでも、なんでもそうです。

「社長になる!」「家を建てる!」「あの人と恋愛成就そして、結婚する!」

「子供を守る!」

もしも確信に至れるだけの材料が自分に揃っていないと<恐れ>を認めることができるのであれば、ガンガンをそれを補うべく要素を求めて生きましょう。

「私はもう○○だから」。

その心でいる時ーーー<本懐>に達した時

あなたが今なすべきことは何でしょうか?

それを一つ一つ積み上げていきましょう。

結果は後から必ずついてくるでしょう。

時の運と共に。

ただし・・・<本懐>とは、魂と一致しているという意味でもあります。

「私の意識と本質は何を求めているのか?」

自分を知らなければ、この領域も残念ながらありません。

それを発掘するために、当サロンのカウンセリングをお求めくださる方は6〜7割を占めます。

皆様の魂の飛翔をまごころより応援しております。

GOOD LUCK🌟

幻想を打ち破れ

問題は、全部、幻想のせいです。

私たちは独自の世界観を持っていて、その中にはコンプレックスといった

独特な「こだわり」と「負い目を感じる部分」があります。

コンプレックスにタッチする時、私たちは必要以上に、判断が鈍ります。

自分の身を守ろうとする機能が働くからなのですが、

その時、残念な事に、真実はど無視・正反対の判断状態となります。

そして、わざわざ自分を傷つける方向に物事を解釈しようとします。

そしてそれを信じて全く疑わないのです。

ああ、思い出されてきます。20年前、私は本当に自分に自信がなかったし、

ましてや異性関係は大の苦手で、異性に愛される要素がないと思い込んでいまして、

そのくせ、積極的に男性と関わろうとしていたわけですが

大好きな人に言われた「君は僕にはもったいない」の言葉を、間違えて読んでしまいました。

まさかそのセリフもコンプレックスからきているとは

毛頭、みぬけるだけの心理状態ではありませんから

「ああ、私のことが嫌いだから言ってるんだ!」って、

これまた案の定、自分のコンプレックス通りの読みをして、意気消沈、

しかも今ほどの「愛のねばり」のない私でしたから、

あっさり「諦めて手放してイジイジおしまい」にしてしまったのですね。

おまけに最悪な事に、私は母親にこの話をしたら

「そりゃ、ていのいい断り文句でしょ」と言われたものだから、

すんなり「やっぱり!」とジャッジ、一人じくじくとハートブレーカーに浸ってしまったのですが

冷静に考えてみれば、母親も異性に対してコンプレックスのある人間だったのでした(苦笑)

そんな言葉を信じちゃいけない!(笑)家族の血は争えません!?気をつけなきゃね。

対処法としては、自分にあるコンプレックスの種類をしっかりと把握しておいて

心が動いたら(揺れたら)「あ!また、コンプレックスに引っかかって、真実と逆の解釈を自分はしているんだろうな」と予測をさっと立てることができるようになることでしょうか。

基本的にコンプレックスが無くなることはありません。

それは一生付いて回るものです。ですが、

それを軽く小さく手のひらの上で転がすことができるようになると、

目先の事で振り回されることも少なくなります。人間が練れてきたということができるでしょう。

その他の対処法としては、いちいち自分の色眼鏡で判断しないことです。

すべて、そうかもしれない、いやそうでもないかもしれない、

あらゆる可能性ののりしろを想像して欲しいところです。

自分の判断と正反対の可能性を信じることのできる力でもあります。

さらに熟練してきますと、

「無我の境地に入って、本質の声に耳をすましさえすれば、真実が読み解けてくる」

ようになります。

私はこれを「以心伝心」の関係と呼んでいます。

表面的な出来事で一喜一憂しない、ふか〜い関係のことです。

ご相談くださる皆様お一人お一人に、この豊かな生き様を掴み取っていただきたく

日々、お手伝いさせていただいている次第です。

つくづく人間て奥が深くて複雑で、面白いなあと、興味つきない今日この頃なのでした。

今日はこのへんでおやすみなさい🌟

GOOD NIGHT🌙

恋の完全燃焼を!

wp-1469706459521.jpg
自然の美しさはそのはちきれんばかりの生命力かなーと見とれます。<私は私!>誇らしげなその佇まいに習うもの多しです。

表現や行動をし残したままでいる時、人はナーバスになります。

すべてのことにおいていうことができますが、

「上手くいくかどうか」を思いあぐねたり、気遣ったりしすぎるあまり、

表現できないままでいたり、行動できないままでいたりするとき、

置き換えとしておかしな行動に取って代わってしまうこともあります。

大切な事は、<自分のエネルギー燃焼>です。

人は生まれて、いつか死にます。いなくなります。

もしも中途半端にやり残したままにしていることがあると、

その問題が、ちらちらとその人の進行過程に登場して、

前進やステージアップを阻んできます。

死ぬ間際になって後悔することが残っているのも人間かもしれませんが、

できるだけ後悔ないように、その時できることを恐れず取り組む中で

展開される現実を眺める人生もあるわけです。

何度も失敗を繰り返しながら、表現したいことをコツコツ積み上げるからこそ、

「出来上がり」「仕上がり」「完成」「締結」を見ることができます。

失敗のない成功はありません。失敗を重ねるから成功があります。

失敗が成功に変わるためには<調整>を重ねればいいだけです。

ゴールドメダリストのフィギュアスケーター羽生結弦選手は、

どの選手よりも失敗の中に恐れず飛び込んでいるという記事を読んだことがあります。

 

恋愛の相談で、傷つくことを恐れすぎるあまり、言いたいことを言うことできず

悶々として、しまいには「占い師を次々と渡っちゃ、うまくいかないとだけ言われて、凹んで、傷だけ増えて」というような話もとても多いのですが、

ファーストステージとしては、自分の気持ちに忠実かつ大事にすることが充足の鍵になります。

セカンドステージとしては、その気持ちを、相手の立場を考慮しながら、

相手に伝わる言葉(相手の自我を守った形)に変換して述べるという、技術が必要になります。

愛ある関係性のグループワークで磨いていくのはこのセンスになります)

そのようにしっかり自分の気持ちに従って行動したり伝達したりしないと

ずるずると引きづり続けて、何年ということは平気で起こります。

一生懸命に蓋をしたつもりだったのが、

30年たったら突如思い出されて、思い出されて、

(タオセラピーの見地から、これは起こり得る話なのです。

30年で自分の自然エネルギーと180度反対のエネルギーが回ってくるからであり、

その時人は、自分がそれまでとっていた姿勢をガラリと変換させられる

気運のアタックに見舞われるからです)

恨めしい気持ちがこみ上げるというケースを伺ったこともありました。

気持ちは自分のために、相手にちゃんと伝えといたほうがいいですよー。

あとはご縁とか、自然の神の采配によるところも大きいわけですが、

そのご縁の種を付けるものは、やっぱり人の心であり、

その心から生まれる言葉ですからね。

ーーーかくいう私ですが、相当なビビリです、

怯えて言えないよっという方の気持ちもよ〜く共感できたりします。

でもそれは自分の心の弱さと欲の課題であると、タオセラピーで進むべき方向性を明らかにして以降、欲望の借金を増やさないためにも、積極的に気持ちを相手に伝える努力をしております^^

20年前に好きな人に会えるかしらと夢を見て、その人が勤める会社のある駅近の喫茶店でバイトしたことがありました。「偶然を装おって会えたら嬉しい」と非常に乙女な発想だったのですが(苦笑)、結局、一度も会えませんでした。しかもそのことを本人にも一度も伝えていなかったのですが(あまりにこっぱずかしくて)、去年の夏、やっと言えましたよ。頑張ったのです、私。

言われた方はどう思ったか知りませんが(何も言ってくれない)、悪い気はしてないのだろうということだけは理解できております。

目的は、相手の警戒心を解いて、私のその人に対する気持ちについての信頼性を感じてもらうためだったのでした。ちょっとは功を奏している気は勝手にしています。

欲望とは反対方向に運は宿る、ということについてもしみじみ考えさせられる、夏の夜なのでした。

ここまでは「恋」のレベル。

「愛」となると、そのキャッチボールを積み重ねながら<育む>中で育つものですからね。

「恋」止まりで「あの人とうまくいかない」、

といい終えるのも、何かもったいないものがあります。

努力すれば生まれるかもしれない「愛」の可能性があるご縁などのケースでは。

ただし、関係に於ける努力とは、自分の世界観の外に踏み出す勇気とタフネスが求められますから

「心の器」を育てることも、ポイントになります。

今日はこの辺で。

GOOD LUCK 🌙

wp-1469706497045.jpg
たまには顔写真もUPしてみたり。

 

 

愛は育んで(男女の修行の違い)

恋愛のご相談は多いです。

私が強調したいのは、愛は育むものであるということです。

特に、大事に考えたいのは、

とかく現実を追いかける女性の修行ポイントは、「精神的になること」であり、

とかく夢見て精神性を追いかける男性の修行ポイントが「現実的になること」であるという、

東洋思想のものの見方です。

多くの女性の主訴は、相手が現実を見てくれない、という問題です。

その時の特効薬は、一旦女性が、相手の精神世界(夢見ている世界)に寄り添うことです。

ペースを合わせるのです。

そしてそれをしばし一緒に楽しむのです。

そうすると男性は、心が緩んできて、徐々に女性のペースに巻き込まれてくれるようになります。

そうやってちょっとずつ現実との接点を与えていくのです。

多くの男性の主訴は、相手が現実ばかり求めてきて、愛の夢(刹那)を楽しんでくれない、という問題です。

もしも男性が女性に愛の夢を求めるのであれば、一旦は女性との関係に現実的な枠組みを用意することは必要でしょう。

それで男性が女性に贈り物をしたりすると、女性は一気に相手に愛を感じやすくなります。

マンションを買い与えたりなどの話もこういうところから出てくるのでしょう。

その時に男性は合わせて、ちゃんと、自分がどのような愛の夢を見ているのか、伝えることができると、上手に巻き込むことができるでありましょう。

それを伝えずに「女性がいつまでも現実的すぎて困る」というのはどうしようもないのであります。

ちなみに私は、この「私はあなたの精神的に夢見ている関係性に添っていますよ」というのを立証するのに、3年はかけてきています。

最初の年にこれを口にしてから「本当にそうかどうか?」、相手が警戒しているのを感じましたので、有言実行しましたよ。

おかげなのか最近やっと徐々に、心を開いて

「起きていることをあるまま言葉にしてくれる」ようになったので、

わかりやすくなってきました^^

といっても買ってきたお土産、賞味期限付きのものを送ろうか?と聞いたのに対して

「美味しいだろうけど、多分作らないから、食べて」というような程度ですけど(笑)

それでもはっきり言ってくれると全く助かります。

それまで私に警戒があるうちは

「こんなこと言ったら誤解されるかもしれないから、何も言わない」

というスタンスでいたからなのか、暗黙のうちにいろいろなことをやり過ごしすぎてくれるため

一体何が起きているのかがさっぱりわからずこちらも困りました。

もっともここでも賞味期限付きのお土産という現実はいりません、と断られているわけですがw

ま、粘り強く、関係を育むとは、草花を育てるのと全く同じ。子育てもそうですし、

ペットの飼育も一緒。

一足飛びに、惚れた腫れた、それ結婚しよう!という恋愛関係を夢見ている方がいるとしたら、

そのあとに必ず、この男女の違いからくる修行ポイントの壁にぶつかることになり、

みんなそれぞれに乗り越える努力をしないことには

どうにもならないプロセスが待ち受けているのであります。

どのタイミングで、この過程を経験するかは、カップルによって様々ですけど。

いずれにせよ、表面的なことでめげていては、大事なものを見失うので、お気をつけくださいませ。

皆様のGOOD LUCK🌟 を願っております。

今日はこの辺で🎵

wp-1469535012866.jpg
「金雲木立」という名の九谷焼を、加賀温泉駅で見つけて、一目惚れ買いしました。二羽の連れそう鶴が素敵です。現地で工芸品を求めると、激安であるということを生まれて初めて知りました。この高品質でたったの6500円!日本旅行の喜びを見つけてしまいました^^(そこ?!w)

 

 

 

 

愛の粘りで恐れに勝つ

暑い日は冷やし中華が食べたくなります^^

つるつるコシのある麺をかみながら、愛について思います。

wp-1469020691307.jpg

クライアントの方の多くの話にある傾向のひとつですが、

なぜひとはすぐ目の前にある愛を、恐れるのでしょうか、

そしてそれにくるりと背を向けて、みずからその綱を断ち切り、

みずから愛に裏切られたと叫ぶ、絶望の沼へと落ちようとする。

論理的な言い訳がそこには確かにあります。

そのプロセスを受容することも、

カウンセラーという心の器をつくる仕事人としては重視します。

それにつけても、なぜその愛を信じることができないのでしょうか。

目に見えないせいで、自分の信じる<絶望>へ自らを駆り立てる行為が、人の中にはあります。

ひとつには「学習」の問題は大きいと思われます。

それは面々とつづく家系の因縁によるところはあります。

それをくつがえさんとして、(ときには受容しようとして)

私が魂の受けとめ手として、愛の求道者として、鍛えてきましたのは

「愛の粘り」「愛の持久力」「愛の体力」です。

(私だって、始まりは、愛に怯えまくっていました。

世界中が私をHATEしていて、すべての女性に自分が劣っているように見えるという、

分裂的強迫神経症を無意識に背負っていて、きつかったです)

愛に懐疑的なひとは、自分とは異なっていて自然である世界観を持つ

相手の態度をとかく否定的にとらえる傾向があります。

支配的で、自分の世界観のなかに相手を引き込もうとします。

そして、それが得られないと堪えられなくなったとき、関係を切ろうとします。

さもないと、身を守ることができないからです。

自分の幻想の檻のためであるとも知らぬままに。

もっとも、それは精神と心の発達プロセスとして、とても必要な段階です。

自分の身が守れる世界で、個は熟していくからです。

けれども、愛あるアプローチは、異なります。

自分とは異なっていて自然である世界観を持つ相手の態度が

自分の辞書において否定的な意味を持ったとしても、背中を向けません。

「私たちの関係は永遠ですよ」のかまえをとりつづけます。

「あなたが私のもとをさっても、私は永遠にあなたの味方ですよ」と。

自由な選択を相手に与えながら、墓場まで、あの世まで、離れない姿勢をしめします。

実際に接点があるかどうかは、愛には問題ではありません。

永久に、魂が、ともにある。

それを信じられるし、それを喜べる。

その心を持った人間と向き合うとき、ひとは「愛の深みとあたたかさ」を経験できます。

愛を獲得する心を育てるとは、それを経験しているか、いなかに左右されます。

セラピストークライアントの関係も、同様であると私は努力しています。

私のもとにいらっしゃるクライアントの多くが、

愛を追いかけていますから、私が愛を経験していなければ、ご提供できません。

「くどい!」「しつこい!」

そうおっしゃったかたも過去にはおられます。

いいんです、それで。思いのたけを私との間で吐けてよかったね。です。

愛の手綱が切れてその苦しみのために私のもとで愛の心の器を養う過程で

ときにすぱーんとその関係にメスをいれてくるパターンが登場する瞬間も

私は認知しています。

それを私は、知りながら、のみこみます。

ああ、今、その過程にいるのですね。と。

受け止め、そして自由の空にもどっていただきます。

自由の空のなかで、自分の存在を守りながら、感じていただくことが、とても大切です。

重要なのは、そこで「私たちの関係はおしまいね」と手放さないことです。

「私はあなたの自由な経過を見守るのが好きですよ」の姿勢です。

加えて、いつでもまた羽根を休める場所は、ここにありますよ、のアプローチを

さりげなく残して。。。。

「ずっと一緒だよ」

まごころからの言葉として、私は祈りをこめて、

大切な人たち(魂のつながったひとたち・クライアントの方々)に贈ります。

たとえこの世をさっても、私はそのひととつねにいます。

私はいつでも大切なひとたちをそばに感じられるし、事実、そのひとたちの声に耳を傾けます。

一方で、

「母親のことを覚えていないんだよね」といった

好きな彼のセリフが耳にこだまします。

(彼は自分を産んで病気になって若くして母が亡くなったという個人神話のなかにいる)

ここまでにのべてきた論理から考えると、

いったいどれだけ愛の手綱が切れてしまったというのか。

その深い闇と恐れを、どうやって癒せるというのか。

もともと私も怯えの強いタイプだから、このひととしゃべっていると無自覚に

自分もトリガ―されて恐怖にからめとられ、

おかしな言動(びくびく気を使いすぎる感じ)になるのを経験させられてきました。

そのたびに私は分析を重ねたのですがw

圧倒的な愛のドームのなかにはいってかかわらなければいけない、と判断しました。

愛には、恐れとのバトルが布置されます。

ですが、愛は永遠で、無限。枯渇することのない泉です。

どのような矢を向けられても無敵です。

いかなる現実的因子によって断ち切られても、屈しません。

時を待ちます。それまで温めます。卵からひなをかえす母鳥のように。

そして、母鳥は、1人であることを恐れません。

こころは無限にすべての大切なひとたちとつながっているからです。

 

 

このブログを読んでくださっているあなたのもとにも

愛の女神のタフネスが宿されますよう、祈ってます。

きょうはこのへんで。おやすみなさい^^★

 

 

心の闇の奥に息づく愛

wp-1468930698490.jpg

きょうの夜は、毎月1回定例の「愛ある関係性のグループワーク」を開催しました。

参加メンバーの現実で起きている<関係性>や、気になる<関係性>を取り上げながら、

それについてみなさんでワークしたり、話し合ったり、ロールプレイしたりしながら、

<愛あるコミュニケーション>のいろはを身に着け、深めていいきます。

冒頭で、メンバーのおひとりが<上司部下>関係におけるトラブルを語りはじめられまして、

それを受けて「今、私はどのような<気>を感じ取っているか?」と全身のアンテナを研ぎ澄ましながら、耳を傾けます。

口ぶりは「怒り調」でしたが、その背後で伝わってくるものをキャッチします。

とりわけ「この人と関わっていて、今私はどのようなロール(役割)を投げ込まれている(演じさせられている)か?」をセルフワークします。

そこで私が、つかまえたのは「恨み、つらみ」だったのでした。

よ~くうかがってみると、

ジェンダーやランク(立場)に対するコンプレックスがおありとのことですから、

無理もないですね、その関係に飛び出す<気>があり、

それが合理を超えたねじれコミュニケーションを生成したとしても。

(心理学的にいうと心理ゲームともいえます)

コツとしては「おや、この違和感はなんだ?」とアクセスして紐解くのですが、

その方のお話をうかがっていたら妙に

「いびりたい」とか「いじめたい」とか「いじりたい」という気がふっとわいたので、

「どういうことかしら?」と、さらにその

「いびりたい」「いじりたい」「いじめたい」気のなかにもぐっていきます。

そうしたときにやっとはじめて、構図がよめたのでした。

「なるほど~、(説明してくれたそのメンバーがもっている)気が、

にわかな戦闘的(うらみ感)であるため、

<なにくそ、おまえやるか?>という無意識の相克関係が引き出されている」

と逆算されたのでありました。

「なにそれ、深すぎ!!」と、メンバーの方が喜んでくださるのが私は大好き^^

おそらく多くの方が、論理と合理で人間関係を渡るとお考えかもしれませんが、

どんなに論理と合理で正当性を主張したとしても、

別の因子がからんで、理屈通りには進まないことを経験させられることは

やまほどかと思われます。

別の因子とは、何かというと、人の心と言葉の奥に住んでいる

さまざまな感情・情動・気・コンプレックスなどなどです。

論理とはかけはなれた、これらの感情・情動・気・コンプレックスを

<無意識に>腹に抱えた方を前に話をしていると

「ほかの人との間ではこういう気持ちにならないのに、

なぜかこの人との間だとこういうことになるんだけど??」という、

経験をさせられます。

そこで、「なんだ、この関係は!現象は!」という場面で、点検すべきは、

ご自身の見失われた感情・情動・気・コンプレックスなどです。

相手にも同様の気が隠されているからこそ、その問題は強調されるわけですが、

それを見抜くうえでも「今、自分は、どういった心の闇や弱さを感じ取っているか?」と自己点検することが、関係性の突破口を見出すうえでとても役にたちます。

ですが、本人があらゆる人間の心の闇をクリア(向き合い、受容)できていないと、

それに気づくことはできません。

だからその関係性は、永遠にくりかえされることになるわけです。

くりかえされる関係性を離脱するためには、自分の世界観のトラップを見破る必要があります。

そして、そこに隠された自分の<闇>をも

愛する(慈しむ・大切にする・いたわる)ことが大切です。

このクラスは<愛ある関係性とは何か?>を探求しますが、

さまざまな人間の<心の闇>を抱きとめながら、

いかにそれを相手にも響く形で主張し、伝達するのか?

その<言葉選び>や<表現力>の豊かさを会得していただきます。

私がこのクラスを大好きな理由は、

ワークやロールプレイを通じて明らかにしていく

心の闇のなかにこそ、弱い人間の、愛にうえた

いじらしい姿を目撃するからです。

私の持論ですが、(じつはエネルギーの法則としても成立しますが)

どうして人間は愛にうえるのか? それは、人間は愛そのものだからです。

人間自身が、自らの一部を否定してしまうから、結果、愛にうえざるをえないのですけど。

たとえば、きょうの<恨み・つらみ>のケースでいうなら

「認められたい!」「評価されたい!」という愛の飢えがあるゆえの感情なのですよね。

ひととして、実にけなげで、まっすぐで、愛らしい!!・・・

と私はあらゆる情動に美しさを感ぜずにいられません。

(自画自賛ですが、さすが心理のセラピストといっていただきたい、えへ^^)

もしもあなたが愛に飢えている感じを覚えるならば、

否定してしまっている自分の一部が、自分の意識の外にないか?

探す旅に出られるのもよいかもしれませんね。それらのあるままを見つけ出し、受容し、肯定し、活かすことができるようになるとき、<愛>も<愛ある関係性>もあなたのもとにあることでしょう。

愛は実に素晴らしく豊かなものであることを、感じ取ってもらいたくて、

私はこのクラスを愛しています^^

ご興味ある方はぜひお声がけください。

来月8月後半の平日夜18時~の回によろしければぜひ単発参加も歓迎です。

あるいは、このテーマに興味あるんですけど、と心理セッションにお持ち込みいただくのも

エキサイティングかもしれませんね。

 

きょうはこのへんで、おやすみなさい☆彡

最後の一枚は、クライアントの方がさしいれてくださった夏らしいひまわりで。

wp-1468928760436.jpg