厄介な私の有効活用秘策

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一人の心の中にたくさんの<私>がいると感じられる方は少なくないでしょう。それらのどれかを優位にするのではなく<すべて>を協奏曲のようにまとめ上げていくことが、人生の深みであります。

魂の世界は、合理ではまとめられません。

それゆえ「アート」の極致でもあるわけです。

「愛の粘り強さ」も欠かせません。

心技体という言葉がありますが、一見、

物事をひゅんひゅんと回転させられているかのように見える方であっても、

よくよくお話に耳を傾けていくと、

身体の声と分離したまま意識だけで突っ走ることのできる方というのは少なくありません。

(むしろ、多い)

行動の矛盾や無理の積み重ねとなって、それが現れたり、はたまた身体症状となって

その不一致さを時間の流れの中で経験させられるケースがほとんどです。

世界にはいろいろな体質の方がいるわけですが、

私は、今の職業の生命線が「自己一致」にあると悟ってから

「身体の声」にすこぶる耳を傾けるようにしています。

ともすると意識が分裂して、「身体の声」を見失うこともある方ではありますが

タオセラピー(自然エネルギー)レベルから、

いろいろな方を拝見させていただいていると

「こりゃ、身体の声はさっぱり感知できづらいだろうに」

という気質で生まれている方もいらっしゃるわけでして、

そのタイプに比べたら、割と「身体」が正直に反応を示します。

「思い通りに身体が動かない」という形になって現れることが大概です。

今日もそれは起きました。

「書きたい原稿を進めよう」と勇んでいましたら

「身体」が疲れているように重たくて、眠さの極みなのです。

たまたま電車の中で見かけた広告に、

「眠いのは血が少ないから」というような本の話がありましたが、

真剣に考えてしまいました。「血を増やせば、私、どうにかなるかしら?お米?睡眠?」と。

それも少しはあるのかもしれませんが、よくよく内観(インナーワーク)してみると

「いじけている私」「自己憐憫の私」がいました。

それは私の中のごく一部ですが、存在するからには、

私の前進力を阻害するパワーであることには違いありません。

なぜかというと、「いじけている私」は、現実に対して後ろ向きの姿勢だからです。

それをそのままにしていると、私の身体は動けないままになりますので、向き合います。

「いじけている私」の言い分は、次の通り。

月日ばかりが流れたが、私は結局、何も生み出していないじゃないか。

ーーーそれは思い込みですよ、

「十分に見識も深まり、たくさんのクライアントの方に恵まれ、その方々の発展に寄与してきているではないか」「今ある部屋(空間)こそが生み出されたものではないか」

ということはできますが、論理的にそう示しても、この部分に対しては有効ではありません。

「どうしたいの?どうしたらいじけや哀れさを感じないで済むの?」と質問をします。

答えは「旅に出たい。現実の何もかもを忘れられる、自己と比較してしまうすべての存在から姿を消し去ることができるから」というのです。

そりゃ、確かにそうなのですが、いろいろ計算をしてみたところ、一番私に取ってそれを実行させられない理由の一つには、愛犬の存在があります。

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僕には罪はないの僕は無邪気なの^^

一緒に連れて行く旅行プランとなると、もう少し私はセレブである必要があります(笑)

どうしようか、困った〜と向き合っている時、ふっと浮かんだのは次のことでした。

「その心境は非常にポエティックなものであり、人間の普遍的な悩みの一つでもあるのだから、それを題材に作品に変えて昇華させればいいのでは?」と。

そこまでわかっていても「動けない」となると、なにか、別因子があるに違いありません。

暫定的に対立エネルギーの仮説を立てて問いかけます。

「もしもどこかに書かせない理由がまだあるとしたら、どんな私?」と。

すると次に登場したのはナマハゲのような顔をした「鬼ママ」でした。

「あんたは浮かれポンチの性質を持っているから、伊達に人から評価されるものを発信したらダメだ。評価されたら人間が悪くなる」というのです(T−T)

これまた幻想!これまたなんたる決めつけ!

確かに私は気質レベルからバランスの悪さを所有していますが、年月の経験と共に随分と精錬してきたと自負しております。そして、その見解に対する自己信頼度は100%です。

掘り下げてみると、結局は「鬼ママ」が臆病者であるために生じている自己批判の声、という見解に至りました。

臆病者のケア方法は、それが安心できる世界に意識のフィールドを設定することにありますが・・・。

「鬼ママ」がちょっぴり厄介なのは、私の中の「鬼ママ」は臆病者のくせに、安心できる世界を特に所有しておらず、ただ感じるまま文句をつけている時だけが、安らぐと言う性質でした。(苦笑)

ちょっと実験してみたのですが、ナマハゲ顔の「鬼ママ」が安心できるか?と思って、金庫の中にしまってタンスの中にしまっているイメージワークを試みました。ところが、金庫の中からダミ声がギャーギャーと飛んできます(笑)(タオセラピー的に見るとこれは私の「天南星」と土性がかけ合わさってできたものであるように感じられました)

そこで私は考えました、その性質をあるまま効果的に活かそう!というのが魂の道の基本戦略です。伊達に蓋をしても功を奏しません。なぜなら、それはエネルギーの燃焼を求めて「ある」からです。

次はクリエイティブに創造します。主体者にとって都合のいい「活かし方」を考えます。

「鬼ママのガミガミが活きる場所ってどういう場面だろう?」

浮かんだのは「台所」でした(笑)

「あんた、台所が散らかってきたよ!」とか

「もっと野菜を揃えておきなさい!」とか。

ここにガミガミダミ声で活を入れてくれると、

とかく仕事で疲れて「気」の回りづらい「台所」にも生気が吹き込まれやすくなります。

今度から「鬼ママ」は「御台所様」として活躍してもらうことに決定!!

(ほんと、原稿書きにガミガミしても、いい事は何もなしなんですもん)

すると、私の「原稿書き」エネルギーもスーッと流れ始めました🌟

そして、「台所」整理整頓も、昨日までやや億劫だった部分があったのですが、

<御台所様>出現のおかげで、より楽しく腰も軽く精を出せます。

一挙両得に変身☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

本当、私、細かい作りで、どうもスミマセン(⌒-⌒; )

カウンセリングサロン「生きる力」をご愛顧くださっている方は

細やかで感受性豊かな方ばかりなので、

その意味では、私のこの細かさ、おおいに助かっていますが^^

持ち味は楽しむしかもはやありません。

気長に自分と付き合う事にしています♬

荒波に揉まれて苦労も輝きに

昨日、一昨日と、お休みをいただき、北陸に出かけました。

両親の結婚50周年のお祝いの家族旅行のためでした。

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行く先は、金沢から足を伸ばして加賀温泉に1泊。

見事な田園風景に、みるみる全身の細胞が緩み

リラックス度「極(きわみ)」でありました。

東洋思想的に言うと、「乙未」とか「己巳」とかだ!

と一人喜んで口走っていました。

夕飯にそちらで頂いたお刺身が、あまりに美味しいのには、いたく感激しました。

東京の3倍は厚みがあって、プリンプリン弾ける身ごろ。

ピチピチした鮮度に、自然の幸の贅沢さを堪能しました。

と言っても、お値段は東京の4分の1ぐらいでしょうかねえ。

なんでも土地のタクシーの運転手さんのお話によりますと

北陸のお魚は、日本海の荒波に揉まれているから、おいしいんだそうです。

太平洋側のお魚は黒潮の流れに乗ってやってきているものだから、

日本海の荒波に揉まれているものに比べて、身の引き締まり方も違うんだそうです。

そう言われてみると、妙にうがったお話に聞こえます^^

少なくとも東京でいただくお刺身は、デレデレとゆるい印象といえば、そうかなあと。

そのお話を聴いて、人の心も一緒だなと思ったのでありました。

荒波に揉まれて強く逞しく、それでいながらも、生き生きとした心は、

人としての味わい豊かである、と。

生きることの苦労の種類は数えたら枚挙にいとまがありませんが、

苦労は若いうちに買って出ろと言われるほどです。

苦労はどれも、その人を個性豊かに、滋味豊かに、磨いてくれるものとは、

まさに、北陸の海の幸のごとし、というわけなのだなあと、感銘を受けたのでした。

今、目の前にある苦労も、人によって千差万別ですが、

いつか必ず、この写真のように「つややかな魅力」を輝かせるときのために

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あるのではないか?!と少しは頭の片隅に置いていただけたら嬉しいです。

GOOD LUCK🌟

今日はこの辺で。

 

 

ユングの錬金術のワーク

あなたはいったいどのようなエッセンスに
(あなた自身になることに)飢え渇いているために
今、生きづらさを覚えているのか?
その真実をあぶり出してくれる、秘密のイラスト10枚に塗り絵をするワークです。
1500年代の西洋の錬金術師たちが残した<永遠の命>につづく
スピリチュアルな絵をユングは「悟りの入り口」という表現をもって
『転移の心理学』(みすず書房)のなかで論じています。
この塗り絵の作業を通じて、直面化するのは
あなただけの<生きる意図>です。
それに対して、あなたがどのような<抵抗>や<葛藤>を所有しているのか
本質的な<パターン>を把握できるようになります。
この絵があぶりだしてくれるレベルは、無意識もそうとう遠くのものであるため
自らの手を動かして確かに表現しておきながら
<それは自分じゃない>と主体者にとっては受け容れがたいものであるかもしれません。
ですが、たくさんの方のこの領域と面してきた立場としても、
ここに描かれた自己として現実を生きることができないうちは
このテーマで、本人が何度でも問題に直面化させる現実に遭遇することになるという
傾向にふたをし続けることはできません。
この絵を通じて学び得るものは、人間の心と魂のステージアップのための秘密(原理)です。
「私はどうすれば、チリジリバラバラに、行ったり来たりする
私自身の苦しみから自由になれるのか?」
という問いに答えてくれるものであります。
愛情関係にストレスを覚えやすい方にもぴったりです。
ユングの説いた『結合の神秘』が主題となっており、
内なる男性性と女性性という、相反する対立物をとかくもち合わせるがための
人の苦しみをいかに小さく、
いかに自分の手のひらで転がすことができるようになるまで
昇華させるのかを紐解くため、
混沌とした深層心理の知恵の輪をほどいて
すっきりストレートでスマートな、
人間関係・愛情関係に続く出口を見出すことができます。
「認められたい」「理解されたい」ーーー愛情の渇望感は、けして「あの人が○○じゃないからだ!」という嘆きの問題ばかりではありません。
ひととは不思議で、この手合いの問題を背負っている場合、
相手がどれほどあなたを認めても、理解しても、愛情を差し向けても、
それでも渇望感から逃れられないものだったりします。
根源的な魂の叫びが主体者に投げ込まれ続けるからです。
「私(魂)の求める道で時間を燃やして」ーーーと。

苦手なものや嫌いなものに目を背け続けても、
長い時間のなかで、それは手を替え品を替えその人の道の前に立ちはだかってきます。
大切なことは、それらにふたをするのではなく、
いかにバランスよくつきあうことができるようになるのか?
肯定的な意図を見つけ出せれば、受容も促されるかもしれませんが、
錬金術の奥義は、抵抗する私も、葛藤する私も、<溶解>させて、
何もかもいっさいがっさいを大切な材料として、煮込んで仕上げるシチューのように
人間のあるままを<精錬>させることが、
最も重要な取り組みであることを、教えてくれます。
これこそが真理だと、私(大崎)が、理解することができたのは
のちに生み出すこととなった『タオセラピー』の基盤思想である
古代中国の自然思想の原理と奥義を目の当たりにしたからです。
あなたが自然から授かったエネルギーは、好きな私も嫌いな私もふくめてどちらも真実です。
「好き」「嫌い」とは、あなたの【こころ】の<認知>によって構成したものですが、
それらの<認知>さえも<素因数分解>して<根っこ>をたどるなら
<エネルギー>であり<ひとつの指向性>であるわけです。
あなたのなかの<対立物>、あっちは好きだけど、こっちは嫌い、も
純粋なエッセンスとして、あなたの本質が求める<錬金の高圧力釜>がいかなる<ライフスタイル>であるかを割り出した上、
いっさいがっさいのエネルギーを、その<ライフスタイル>に投げ込んで、
あなたがあるひとつの目的に向かって完全燃焼することができるとき
比類ない充実感とともに天命をまっとうしながら生きている実感を得る
幸福にあやかることができるでしょう。