私心を捨てて鬼の心で仏の顔〜都知事選に観た事

初の女性都知事が生まれましたね。

20160802_100646.jpg
回想しながらのカフェ。銀座の北欧系「オスロコーヒー」にて。

私は特段、小池さんを応援していたわけでもなんでもないのですが、(かといって反目しているわけでもない)

選挙ポスターが開示された瞬間から、「ああ、この人がなるんだな」とわかっていました。(正確には感じていた)

(というと結果出てから言いやがって、な感じもするから、ちょっとカッコ悪い感じですが。ここのブログは私が自分の両親と会話する時のリラックスした本音モードで綴っているので、まあ、許していただけたらです^^;)

変な話、私には彼女が選挙に大勝ちすると見えていた、感じていた、わかっていたので、「じゃあ、まあ、他の人に入れるか」と、特に次の世代の人間を育て応援しないとね、という発想の私は、某お若い(?)方に投票したのでした🌟(私はちょっと変わってる!?w)

さて、なぜ「わかった」のかと言いますと、ズバリ「気」、別名オーラです。

凄みとか、迫力とか、気迫とか言った言葉も当てはまるでしょう。

私のトレース能力によると、「この気は、背後の占い師か何かに<今度はあなたが必ずなるから>と太鼓判を押されていたかのごとくの、確固たる自信、不動の確信を持って臨んでいる!」だったのです。

それは、他の候補者に誰一人として視て取ることはできませんでした。

表の姿勢とは裏腹に、深層心理に隠し持っているものは、オーラとして透けて浮かび上がってくるものですが、小池さんほど「自分が選挙に勝っている姿をまっすぐに見つめて、コツコツ選挙レースを走っていた」方はいませんでした。

それもそのはず、日本の運命としても、小池さんに決まることが布置されていたわけでしょうし、他の方で「自分がなっている姿が視えて」走っていた方は居なかったと思います。(そういうオーラを出している人は誰もいなかった。どこか不安と揺らぎと恐れを、一ミリ二ミリでも抱えていたと、お見受けしました)

もともと目鼻立もくっきりとしていらっしゃるために、人目を惹くルックスをお持ちの小池さんではありますが、今回の選挙戦は今まで以上に「どうしてこんなにもエネルギーが重いのだろう???」と興味と違和感を感じていました。

好奇心から小池さんの所有する自然エネルギーを調べてみたのですが、、、するとなんと、この2016年7月は「乙未」で、土の性質だらけが極まったタイミングとなったのです。土の性質が極まるということは、土が「人徳」「魅力引力」を現すために、選挙なんかでは爆発的パワーで一致します。

小池さんは宿命的に、徳の非常に高いエネルギーを持っています。しかも「頭角を現すことは必定」(壬戌)「たくさんの人間の真ん中で」(丁未)それも「高い打点から眺め見下ろし目配りをする」(壬辰)指向性のかた。「戌・未・辰・未」と土だらけ〜〜〜@@

そこへ持ってきてご本人の「心の器」が「私心を捨てて、鬼の心を持って仏の顔で」の状態であったのだということが判明したのは、昨日の朝日新聞の某記事を読んでのことでした。

「私が都知事です」って顔に私には見えました、ポスターの段階から。

20160802_100919.jpg

この気迫でいられたら、周囲は巻き込まれてしまいます。

このかたのこの「姿勢」に私は学ぶものが、今回非常に多くて、改めて敬意を抱きました。

あらゆることに通じる、真理が、体現された選挙戦だったのではないでしょうか。

このブログをご覧に成っているあなたも何に対して

「不動の確信と確固たる自信」を抱いているでしょうか?

そこに愚痴レベルならありうるかもしれませんが、迷いがあってはなりません。

特に私たちが無意識に認知している魂・精神のテーマは、現実世界においては「時間」がいるために、そのプロセスを一歩一歩、たゆみない努力を持って前進することは、生半可なことではないでしょうけれども、時を超えて、同時に時を刻みながら「私は必ずそうなる」と「なりきり」のところに、「現象化」は舞い降りるのであります。

念じましょう。自己催眠をかけましょう。「私はもう○○だから」。

仕事のことでも、お金のことでも、愛情関係のことでも、なんでもそうです。

「社長になる!」「家を建てる!」「あの人と恋愛成就そして、結婚する!」

「子供を守る!」

もしも確信に至れるだけの材料が自分に揃っていないと<恐れ>を認めることができるのであれば、ガンガンをそれを補うべく要素を求めて生きましょう。

「私はもう○○だから」。

その心でいる時ーーー<本懐>に達した時

あなたが今なすべきことは何でしょうか?

それを一つ一つ積み上げていきましょう。

結果は後から必ずついてくるでしょう。

時の運と共に。

ただし・・・<本懐>とは、魂と一致しているという意味でもあります。

「私の意識と本質は何を求めているのか?」

自分を知らなければ、この領域も残念ながらありません。

それを発掘するために、当サロンのカウンセリングをお求めくださる方は6〜7割を占めます。

皆様の魂の飛翔をまごころより応援しております。

GOOD LUCK🌟

幸せに続く魂全肯定の道

人間はとかく矛盾に満ちた存在です。

好きなのに嫌い。

進みたいけど、進みたくない。

目立ちたいのに、引っ込んでいたい。

これらを合理で考えると、どちらか一方に道を譲らなければ、一つしかない身体と人生は

蛇行を繰り返すことになるでしょう。

ですが、魂の道とは、それらのすべてを練り込んだ時に生まれ出づる方向性が

どこに進むことなのか? ある1本の道を指します。

その魂の道を見つけ出すことができると、

<矛盾>をも飲み込み、凌駕して、<矛盾>そのものをも肥やしにして、

生きることができるようになります。

このことを前提として、<深層物語セラピー>のグループワークでは、

メンバー全員(場)の集合的無意識の力を借りて

主体者の意識の外にある<魂としての自分>を発掘していきます。

さらに、その発掘した鍵を

<いかに主体者の生活意識の中に組み込むべく

意識のまわし方やライフスタイルの組み立て方を

調整して整理整頓すると魂の道が浮上してくるか>

ナビゲーションを得ることができます。

毎回、メンバーの深層から浮かび上がってくるビジョンをベースに

その人の運命をあたかも紐解き、予知するかのごとく、

各々<魂の課題>が今このタイミングにおいてどこにあるかをみんなで話し合います。

例えば今晩開催した毎月1回恒例<深層物語セラピー>のグループワーク

私が持ち込んだビジョンは、下の写真の通りですが

wp-1469367529579.jpg

正直、あとは実行あるのみ、の段階にまで入ってきました。

この写真は

左上が、四角いスイカ。前回みんなで深層世界に潜って

ただ浮かび上がるままに紡いだストーリーの中で、

ある方がご覧になったビジョン「四角いスイカ」に

<最も深い私>がフラートされたことから、

このビジョンを可視化したわけです。

そして、ここからがみなさん<お持ち帰りの宿題>なのですが、

フラートされたビジョンを起点に、どのようなワールドが、自分の深みで浮かび上がるかを

インナーワークします。

それが、右上の写真、ひょっとこ踊りでありました。

自己分析されたままに解説すると、四角いスイカというのは、

いわゆる<一般的な丸いスイカ>の常識を打ち破っています。

そこから、ひょっとこ踊りも、ある意味で一般的な既成概念を取っ払って

いい意味で「こだわりを剥ぎ取っていろいろなことはどうでもいいさね〜」の踊りでもあると、

私の世界観の中では認識されているのであります。

(こだわりというのは効果的に作用しているうちはいいのですが、

下手すると、主体者の前進力と現実化パワーを遮る魔物にもなりますから、

注意を喚起することが大切です。

この時にこだわりそのものを無視してはいけません。こだわりがあることを認めて、

自らがそのパターンをマークするのです)

そして私のイメージの中のひょっとこ踊りは、激しく繰り返されます。

何度も何度も、リズムに乗って、忘我の境地に入っていきます。

忘我の境地を突き詰めていくと、そこにあるのは無心の静寂です。

3番目の写真は、先週末出かけた金沢の鈴木大拙館のワンコーナーです。

極シンプルなつくり、緑や水の配し方のおかげで、ただ館内を歩いているだけで

自然と禅の境地に至らせてくれるのに驚きました。

その無心の美の中心にただ全身まるごとつかって、一切周囲の煩雑に気を奪われることもなく。

この<中心点>から浮かび上がること・声・ビジョンだけに、

ただ無心に従い続ける生き方へとシフトしていくのでありました。

このプロセスはあくまでも私の深層世界で起きていることですが、

ではそのプロセスに道を開けて現実を生きるとなると、どうなるか?

非常にシンプルです。

朝起きて、食べて、仕事して、寝る。

悩みは? さあ。それは何でしょうね。

すべてのことはどうかなるでしょう。

自然がそうしたいようになるだけのことですから。

私にはもともと<不安神経症的、強迫神経症的、生活に対する金銭的不安>の大きい人間でしたが、

それも、雲散霧消です。

こんな風に、メンバー全員の現実に起きていることと、その方の深層世界の発達プロセスを

共有し合いながら、僭越ながらガイド役として、

私が調整ポイントを簡単にワークさせていただきつつ

みんなで、深層物語の世界へと潜っていきます。

<頭で考えるな!>が合言葉です。

<ただ浮かぶものを待て!>の姿勢だけで紡いでいきます。

参加者それぞれの世界観が投げ込まれていくのもよくわかりますし、

何度も繰り返すうちに、その方の精神世界が成長していることも見て取ることができます。

意識される<悩み>や<問題>を入り口とするのとも違って、

一気にその人特有の深みから湧き上がる

<世界観のパターン>を全肯定するための調整を試みていきます。

ご本人がまだ認めることができていない<その人自身>を指摘させていただきます。

そうすることでその方の魂にぴったりな<心の器>が養われていきます。

この<心の器>がその人の自然エネルギーにバチッとマッチするときに

幸運を感じることができるために、私はしつこくこのポイントを支援します。

同時にこのグループワークの魅力は、

より多くの人の胸に響く言葉の打点を身体感覚レベルから開発することができる点にあります。

眠れる感性の開発にも優れます。

何回も参加くださっている方が会を追うごとにセンスを上げていかれている様を

観察させていただけるというのは、実に幸せな気持ちにさせられるものであります。

皆様の魂の道を心から応援しております。

GOOD LUCK🌟

今日はこの辺で。

愛の粘りで恐れに勝つ

暑い日は冷やし中華が食べたくなります^^

つるつるコシのある麺をかみながら、愛について思います。

wp-1469020691307.jpg

クライアントの方の多くの話にある傾向のひとつですが、

なぜひとはすぐ目の前にある愛を、恐れるのでしょうか、

そしてそれにくるりと背を向けて、みずからその綱を断ち切り、

みずから愛に裏切られたと叫ぶ、絶望の沼へと落ちようとする。

論理的な言い訳がそこには確かにあります。

そのプロセスを受容することも、

カウンセラーという心の器をつくる仕事人としては重視します。

それにつけても、なぜその愛を信じることができないのでしょうか。

目に見えないせいで、自分の信じる<絶望>へ自らを駆り立てる行為が、人の中にはあります。

ひとつには「学習」の問題は大きいと思われます。

それは面々とつづく家系の因縁によるところはあります。

それをくつがえさんとして、(ときには受容しようとして)

私が魂の受けとめ手として、愛の求道者として、鍛えてきましたのは

「愛の粘り」「愛の持久力」「愛の体力」です。

(私だって、始まりは、愛に怯えまくっていました。

世界中が私をHATEしていて、すべての女性に自分が劣っているように見えるという、

分裂的強迫神経症を無意識に背負っていて、きつかったです)

愛に懐疑的なひとは、自分とは異なっていて自然である世界観を持つ

相手の態度をとかく否定的にとらえる傾向があります。

支配的で、自分の世界観のなかに相手を引き込もうとします。

そして、それが得られないと堪えられなくなったとき、関係を切ろうとします。

さもないと、身を守ることができないからです。

自分の幻想の檻のためであるとも知らぬままに。

もっとも、それは精神と心の発達プロセスとして、とても必要な段階です。

自分の身が守れる世界で、個は熟していくからです。

けれども、愛あるアプローチは、異なります。

自分とは異なっていて自然である世界観を持つ相手の態度が

自分の辞書において否定的な意味を持ったとしても、背中を向けません。

「私たちの関係は永遠ですよ」のかまえをとりつづけます。

「あなたが私のもとをさっても、私は永遠にあなたの味方ですよ」と。

自由な選択を相手に与えながら、墓場まで、あの世まで、離れない姿勢をしめします。

実際に接点があるかどうかは、愛には問題ではありません。

永久に、魂が、ともにある。

それを信じられるし、それを喜べる。

その心を持った人間と向き合うとき、ひとは「愛の深みとあたたかさ」を経験できます。

愛を獲得する心を育てるとは、それを経験しているか、いなかに左右されます。

セラピストークライアントの関係も、同様であると私は努力しています。

私のもとにいらっしゃるクライアントの多くが、

愛を追いかけていますから、私が愛を経験していなければ、ご提供できません。

「くどい!」「しつこい!」

そうおっしゃったかたも過去にはおられます。

いいんです、それで。思いのたけを私との間で吐けてよかったね。です。

愛の手綱が切れてその苦しみのために私のもとで愛の心の器を養う過程で

ときにすぱーんとその関係にメスをいれてくるパターンが登場する瞬間も

私は認知しています。

それを私は、知りながら、のみこみます。

ああ、今、その過程にいるのですね。と。

受け止め、そして自由の空にもどっていただきます。

自由の空のなかで、自分の存在を守りながら、感じていただくことが、とても大切です。

重要なのは、そこで「私たちの関係はおしまいね」と手放さないことです。

「私はあなたの自由な経過を見守るのが好きですよ」の姿勢です。

加えて、いつでもまた羽根を休める場所は、ここにありますよ、のアプローチを

さりげなく残して。。。。

「ずっと一緒だよ」

まごころからの言葉として、私は祈りをこめて、

大切な人たち(魂のつながったひとたち・クライアントの方々)に贈ります。

たとえこの世をさっても、私はそのひととつねにいます。

私はいつでも大切なひとたちをそばに感じられるし、事実、そのひとたちの声に耳を傾けます。

一方で、

「母親のことを覚えていないんだよね」といった

好きな彼のセリフが耳にこだまします。

(彼は自分を産んで病気になって若くして母が亡くなったという個人神話のなかにいる)

ここまでにのべてきた論理から考えると、

いったいどれだけ愛の手綱が切れてしまったというのか。

その深い闇と恐れを、どうやって癒せるというのか。

もともと私も怯えの強いタイプだから、このひととしゃべっていると無自覚に

自分もトリガ―されて恐怖にからめとられ、

おかしな言動(びくびく気を使いすぎる感じ)になるのを経験させられてきました。

そのたびに私は分析を重ねたのですがw

圧倒的な愛のドームのなかにはいってかかわらなければいけない、と判断しました。

愛には、恐れとのバトルが布置されます。

ですが、愛は永遠で、無限。枯渇することのない泉です。

どのような矢を向けられても無敵です。

いかなる現実的因子によって断ち切られても、屈しません。

時を待ちます。それまで温めます。卵からひなをかえす母鳥のように。

そして、母鳥は、1人であることを恐れません。

こころは無限にすべての大切なひとたちとつながっているからです。

 

 

このブログを読んでくださっているあなたのもとにも

愛の女神のタフネスが宿されますよう、祈ってます。

きょうはこのへんで。おやすみなさい^^★

 

 

こころとは

「<私>とは何か?」を中心として形作る、そのひと独自の世界観によるものです。

その独自の世界観がベースとなって《一連の反応パターン》が

◉無意識レベルーーー衝動・スピリットも含む

◉感情(情動)レベル

◉気分(ムード)レベル

◉身体感覚レベル

◉欲求レベル

◉思考レベルーーー評価も含む

において、おこります。

この総体が【こころ】であると定義することができます。

そして、これらの各レベルの<エネルギー>を受け止める<意識の構え>や

<懐>ともいえるような<器>の役割をになっているのが【こころ】でもあります。

<(意識の)器>や<世界観の枠組み>は、十人十色ですが、

この独自の世界観と反応体系が《固着してしまう》ときに、問題や不都合を体験させられます。

(《してしまう》というのは、本人も望んでそうなているわけではなく、

強力な無意識の防衛作用による、不可抗力だからです)
<私>の外の世界は、時事刻々と変化しているものであり、

<運気>という概念で考えても、一定である<時の気>というものは存在しません。

にもかかわらず一定の《反応パターン》を変えることができず、

漫然と時間をやりすごしていくばかりか

問題や不都合さ(簡単にいうとストレス)を経験させられなくてはならなくなるとき、

以下のことが働いていると考えられます。
◉こころが(無意識レベルで)傷を負ったままであることにより

過度な防衛心が働きます。ーーーある方向性を過度に<危険視>するためなのですがーーー

このことから《新しい反応パターン》を生み出すことができなくなっています。

旧来の《反応パターン》にしがみつづけるしか道を見出せません。

独自の世界観という幻影の外には、ひとりでは抜け出せないため

(本人にとって<それ以上の発想を持てない>というものこそが「独自の世界観」の特性です。

その<不可思議さやもったいなさ>に気づけるのは、それを眺める第三者しか物理的にありえません)

《反応→行動→現象》の堂々巡りが繰り返されることになります。

【対策】

無意識に防衛心が作動する<恐れ>や<危険視>の対象について話し合います。

論理的な理解に加えて、体感覚的な腹落ち感を自らの体験過程で発見することができるとき、

問題だと思っていたことが、じつは問題ではなかったのだということに気づくことができます。

また「傷つき」が「トラウマ」となっている場合、はじめに取り組みたいのが、「心の準備」です。ひとりでは向き合うことの難しい「傷つき」「トラウマ」も、

<信頼できる心のパートナー>とともに力と自信を少しずつ回復させたのち、

その「傷」を癒す(溶かす)ことのできる「心の器」が用意できた段階で

ようやく過去のできごとをめぐる心情にフォーカスしても大丈夫な状態になります。

そのため、いきなりトラウマの問題に直面化させることはしません。

まずはトラウマを経験しなければならなかった<あなた>の心情や

それにともなう現象について、肯定的なよりそいといたわりやねぎらいを中心として、

トラウマ周辺にある、ものの見方の調整を先に行い、

安心・安全を感じられる状態を一緒につくります。

(トラウマのケアをはじめから目的にされている方の場合は、

この限りではありませんが、その場合でも、

いかに安心・安全を感じていただくかの信頼関係づくりを大切にする姿勢には変わりありません。)

◉<未知なる私>の問題であることは、よくあることです。

受け容れることができずに<排除><抑制><抑圧>させなければならなかった<私>

ーーー<見失われた私>を取り戻すときがせまっているときも

<問題やストレス>は経験させられます。

それは<感情レベル>の<私>であることもあれば、

<行動パターンレベル>の<私>のこともありますが、

<スピリチュアルな方向性レベル>の<私>であることもあります。

<スピリチュアルな方向性レベル>の中には<カルマ>の問題もあります。

自分の所有する自然由来の指向性に背を向けるよりも

それを受け容れ、さらには活かす(自覚的にエネルギー燃焼させる)ことができる時、

問題は小さくなります。

ーーーですが、人間には《自分の自然由来のパターンを否定したい・それから逃げたい傾向》もあることは否めないのです。

厄介な事に、このために人生の途上で<ストレス>や<事件>を経験させられるわけです。

これはまるで網の目のように、私たちの行く手に絡みついているものです。

この混沌とした網の目を整理整頓し受容することを「浄化」と言います。

 

【対策】

無意識レベルで<どのようなエネルギー>が進行しているか、

<あなた>の日常での心の動きやできごとに耳を傾けながら、配慮します。

<あなた>が今、取り組むべき方向性を一緒に読み解きながら、話し合いを重ねます。

その方がどの方向に背を向けているのか<魂のテーマ>を読み解きながら。

その時に必ずと言っていいほど存在する<エゴ(マインド)の抵抗>にも敬意を払い

対立する・葛藤する・バラバラにとっちらかりがちな<私>の全てを肯定的に受け入れるための

発想の転換・新機軸の確立を目指して、丁寧に汲み取り、援助、応援をします。

<バランス取れた自然なあなたとは何か>?

<私>という不可思議でなかなかアンバランスな存在を、

どのように調整することができれば、バランス良く活かすことができるのか?

ケースによっては、その<在り方being(ライフスタイル・意識の回し方)>を紐解く話し合いにも及ぶこともあります。

「変容」「生まれ変わり」のプロセスという繊細でデリケートなテーマもサポートします。

*****

以上のことを前提として、

「こころの問題」について取り組み始めると、その実、

「いかに自己の世界観を形作り、いかに自然物としての自分のエネルギーを受け容れて、

伸ばして、燃焼させていくことのできる、意識の構えを、整えるのか」に還元されていくことになります。

その際、「安心・安全」を感じられる環境要因であることはとても大切です。

したがって、「この人になら自分の心を託しても大丈夫かも!」と直観できる、心のパートナーととりくむことが必定となります。