幻想を打ち破れ

問題は、全部、幻想のせいです。

私たちは独自の世界観を持っていて、その中にはコンプレックスといった

独特な「こだわり」と「負い目を感じる部分」があります。

コンプレックスにタッチする時、私たちは必要以上に、判断が鈍ります。

自分の身を守ろうとする機能が働くからなのですが、

その時、残念な事に、真実はど無視・正反対の判断状態となります。

そして、わざわざ自分を傷つける方向に物事を解釈しようとします。

そしてそれを信じて全く疑わないのです。

ああ、思い出されてきます。20年前、私は本当に自分に自信がなかったし、

ましてや異性関係は大の苦手で、異性に愛される要素がないと思い込んでいまして、

そのくせ、積極的に男性と関わろうとしていたわけですが

大好きな人に言われた「君は僕にはもったいない」の言葉を、間違えて読んでしまいました。

まさかそのセリフもコンプレックスからきているとは

毛頭、みぬけるだけの心理状態ではありませんから

「ああ、私のことが嫌いだから言ってるんだ!」って、

これまた案の定、自分のコンプレックス通りの読みをして、意気消沈、

しかも今ほどの「愛のねばり」のない私でしたから、

あっさり「諦めて手放してイジイジおしまい」にしてしまったのですね。

おまけに最悪な事に、私は母親にこの話をしたら

「そりゃ、ていのいい断り文句でしょ」と言われたものだから、

すんなり「やっぱり!」とジャッジ、一人じくじくとハートブレーカーに浸ってしまったのですが

冷静に考えてみれば、母親も異性に対してコンプレックスのある人間だったのでした(苦笑)

そんな言葉を信じちゃいけない!(笑)家族の血は争えません!?気をつけなきゃね。

対処法としては、自分にあるコンプレックスの種類をしっかりと把握しておいて

心が動いたら(揺れたら)「あ!また、コンプレックスに引っかかって、真実と逆の解釈を自分はしているんだろうな」と予測をさっと立てることができるようになることでしょうか。

基本的にコンプレックスが無くなることはありません。

それは一生付いて回るものです。ですが、

それを軽く小さく手のひらの上で転がすことができるようになると、

目先の事で振り回されることも少なくなります。人間が練れてきたということができるでしょう。

その他の対処法としては、いちいち自分の色眼鏡で判断しないことです。

すべて、そうかもしれない、いやそうでもないかもしれない、

あらゆる可能性ののりしろを想像して欲しいところです。

自分の判断と正反対の可能性を信じることのできる力でもあります。

さらに熟練してきますと、

「無我の境地に入って、本質の声に耳をすましさえすれば、真実が読み解けてくる」

ようになります。

私はこれを「以心伝心」の関係と呼んでいます。

表面的な出来事で一喜一憂しない、ふか〜い関係のことです。

ご相談くださる皆様お一人お一人に、この豊かな生き様を掴み取っていただきたく

日々、お手伝いさせていただいている次第です。

つくづく人間て奥が深くて複雑で、面白いなあと、興味つきない今日この頃なのでした。

今日はこのへんでおやすみなさい🌟

GOOD NIGHT🌙

愛の粘りで恐れに勝つ

暑い日は冷やし中華が食べたくなります^^

つるつるコシのある麺をかみながら、愛について思います。

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クライアントの方の多くの話にある傾向のひとつですが、

なぜひとはすぐ目の前にある愛を、恐れるのでしょうか、

そしてそれにくるりと背を向けて、みずからその綱を断ち切り、

みずから愛に裏切られたと叫ぶ、絶望の沼へと落ちようとする。

論理的な言い訳がそこには確かにあります。

そのプロセスを受容することも、

カウンセラーという心の器をつくる仕事人としては重視します。

それにつけても、なぜその愛を信じることができないのでしょうか。

目に見えないせいで、自分の信じる<絶望>へ自らを駆り立てる行為が、人の中にはあります。

ひとつには「学習」の問題は大きいと思われます。

それは面々とつづく家系の因縁によるところはあります。

それをくつがえさんとして、(ときには受容しようとして)

私が魂の受けとめ手として、愛の求道者として、鍛えてきましたのは

「愛の粘り」「愛の持久力」「愛の体力」です。

(私だって、始まりは、愛に怯えまくっていました。

世界中が私をHATEしていて、すべての女性に自分が劣っているように見えるという、

分裂的強迫神経症を無意識に背負っていて、きつかったです)

愛に懐疑的なひとは、自分とは異なっていて自然である世界観を持つ

相手の態度をとかく否定的にとらえる傾向があります。

支配的で、自分の世界観のなかに相手を引き込もうとします。

そして、それが得られないと堪えられなくなったとき、関係を切ろうとします。

さもないと、身を守ることができないからです。

自分の幻想の檻のためであるとも知らぬままに。

もっとも、それは精神と心の発達プロセスとして、とても必要な段階です。

自分の身が守れる世界で、個は熟していくからです。

けれども、愛あるアプローチは、異なります。

自分とは異なっていて自然である世界観を持つ相手の態度が

自分の辞書において否定的な意味を持ったとしても、背中を向けません。

「私たちの関係は永遠ですよ」のかまえをとりつづけます。

「あなたが私のもとをさっても、私は永遠にあなたの味方ですよ」と。

自由な選択を相手に与えながら、墓場まで、あの世まで、離れない姿勢をしめします。

実際に接点があるかどうかは、愛には問題ではありません。

永久に、魂が、ともにある。

それを信じられるし、それを喜べる。

その心を持った人間と向き合うとき、ひとは「愛の深みとあたたかさ」を経験できます。

愛を獲得する心を育てるとは、それを経験しているか、いなかに左右されます。

セラピストークライアントの関係も、同様であると私は努力しています。

私のもとにいらっしゃるクライアントの多くが、

愛を追いかけていますから、私が愛を経験していなければ、ご提供できません。

「くどい!」「しつこい!」

そうおっしゃったかたも過去にはおられます。

いいんです、それで。思いのたけを私との間で吐けてよかったね。です。

愛の手綱が切れてその苦しみのために私のもとで愛の心の器を養う過程で

ときにすぱーんとその関係にメスをいれてくるパターンが登場する瞬間も

私は認知しています。

それを私は、知りながら、のみこみます。

ああ、今、その過程にいるのですね。と。

受け止め、そして自由の空にもどっていただきます。

自由の空のなかで、自分の存在を守りながら、感じていただくことが、とても大切です。

重要なのは、そこで「私たちの関係はおしまいね」と手放さないことです。

「私はあなたの自由な経過を見守るのが好きですよ」の姿勢です。

加えて、いつでもまた羽根を休める場所は、ここにありますよ、のアプローチを

さりげなく残して。。。。

「ずっと一緒だよ」

まごころからの言葉として、私は祈りをこめて、

大切な人たち(魂のつながったひとたち・クライアントの方々)に贈ります。

たとえこの世をさっても、私はそのひととつねにいます。

私はいつでも大切なひとたちをそばに感じられるし、事実、そのひとたちの声に耳を傾けます。

一方で、

「母親のことを覚えていないんだよね」といった

好きな彼のセリフが耳にこだまします。

(彼は自分を産んで病気になって若くして母が亡くなったという個人神話のなかにいる)

ここまでにのべてきた論理から考えると、

いったいどれだけ愛の手綱が切れてしまったというのか。

その深い闇と恐れを、どうやって癒せるというのか。

もともと私も怯えの強いタイプだから、このひととしゃべっていると無自覚に

自分もトリガ―されて恐怖にからめとられ、

おかしな言動(びくびく気を使いすぎる感じ)になるのを経験させられてきました。

そのたびに私は分析を重ねたのですがw

圧倒的な愛のドームのなかにはいってかかわらなければいけない、と判断しました。

愛には、恐れとのバトルが布置されます。

ですが、愛は永遠で、無限。枯渇することのない泉です。

どのような矢を向けられても無敵です。

いかなる現実的因子によって断ち切られても、屈しません。

時を待ちます。それまで温めます。卵からひなをかえす母鳥のように。

そして、母鳥は、1人であることを恐れません。

こころは無限にすべての大切なひとたちとつながっているからです。

 

 

このブログを読んでくださっているあなたのもとにも

愛の女神のタフネスが宿されますよう、祈ってます。

きょうはこのへんで。おやすみなさい^^★

 

 

こころとは

「<私>とは何か?」を中心として形作る、そのひと独自の世界観によるものです。

その独自の世界観がベースとなって《一連の反応パターン》が

◉無意識レベルーーー衝動・スピリットも含む

◉感情(情動)レベル

◉気分(ムード)レベル

◉身体感覚レベル

◉欲求レベル

◉思考レベルーーー評価も含む

において、おこります。

この総体が【こころ】であると定義することができます。

そして、これらの各レベルの<エネルギー>を受け止める<意識の構え>や

<懐>ともいえるような<器>の役割をになっているのが【こころ】でもあります。

<(意識の)器>や<世界観の枠組み>は、十人十色ですが、

この独自の世界観と反応体系が《固着してしまう》ときに、問題や不都合を体験させられます。

(《してしまう》というのは、本人も望んでそうなているわけではなく、

強力な無意識の防衛作用による、不可抗力だからです)
<私>の外の世界は、時事刻々と変化しているものであり、

<運気>という概念で考えても、一定である<時の気>というものは存在しません。

にもかかわらず一定の《反応パターン》を変えることができず、

漫然と時間をやりすごしていくばかりか

問題や不都合さ(簡単にいうとストレス)を経験させられなくてはならなくなるとき、

以下のことが働いていると考えられます。
◉こころが(無意識レベルで)傷を負ったままであることにより

過度な防衛心が働きます。ーーーある方向性を過度に<危険視>するためなのですがーーー

このことから《新しい反応パターン》を生み出すことができなくなっています。

旧来の《反応パターン》にしがみつづけるしか道を見出せません。

独自の世界観という幻影の外には、ひとりでは抜け出せないため

(本人にとって<それ以上の発想を持てない>というものこそが「独自の世界観」の特性です。

その<不可思議さやもったいなさ>に気づけるのは、それを眺める第三者しか物理的にありえません)

《反応→行動→現象》の堂々巡りが繰り返されることになります。

【対策】

無意識に防衛心が作動する<恐れ>や<危険視>の対象について話し合います。

論理的な理解に加えて、体感覚的な腹落ち感を自らの体験過程で発見することができるとき、

問題だと思っていたことが、じつは問題ではなかったのだということに気づくことができます。

また「傷つき」が「トラウマ」となっている場合、はじめに取り組みたいのが、「心の準備」です。ひとりでは向き合うことの難しい「傷つき」「トラウマ」も、

<信頼できる心のパートナー>とともに力と自信を少しずつ回復させたのち、

その「傷」を癒す(溶かす)ことのできる「心の器」が用意できた段階で

ようやく過去のできごとをめぐる心情にフォーカスしても大丈夫な状態になります。

そのため、いきなりトラウマの問題に直面化させることはしません。

まずはトラウマを経験しなければならなかった<あなた>の心情や

それにともなう現象について、肯定的なよりそいといたわりやねぎらいを中心として、

トラウマ周辺にある、ものの見方の調整を先に行い、

安心・安全を感じられる状態を一緒につくります。

(トラウマのケアをはじめから目的にされている方の場合は、

この限りではありませんが、その場合でも、

いかに安心・安全を感じていただくかの信頼関係づくりを大切にする姿勢には変わりありません。)

◉<未知なる私>の問題であることは、よくあることです。

受け容れることができずに<排除><抑制><抑圧>させなければならなかった<私>

ーーー<見失われた私>を取り戻すときがせまっているときも

<問題やストレス>は経験させられます。

それは<感情レベル>の<私>であることもあれば、

<行動パターンレベル>の<私>のこともありますが、

<スピリチュアルな方向性レベル>の<私>であることもあります。

<スピリチュアルな方向性レベル>の中には<カルマ>の問題もあります。

自分の所有する自然由来の指向性に背を向けるよりも

それを受け容れ、さらには活かす(自覚的にエネルギー燃焼させる)ことができる時、

問題は小さくなります。

ーーーですが、人間には《自分の自然由来のパターンを否定したい・それから逃げたい傾向》もあることは否めないのです。

厄介な事に、このために人生の途上で<ストレス>や<事件>を経験させられるわけです。

これはまるで網の目のように、私たちの行く手に絡みついているものです。

この混沌とした網の目を整理整頓し受容することを「浄化」と言います。

 

【対策】

無意識レベルで<どのようなエネルギー>が進行しているか、

<あなた>の日常での心の動きやできごとに耳を傾けながら、配慮します。

<あなた>が今、取り組むべき方向性を一緒に読み解きながら、話し合いを重ねます。

その方がどの方向に背を向けているのか<魂のテーマ>を読み解きながら。

その時に必ずと言っていいほど存在する<エゴ(マインド)の抵抗>にも敬意を払い

対立する・葛藤する・バラバラにとっちらかりがちな<私>の全てを肯定的に受け入れるための

発想の転換・新機軸の確立を目指して、丁寧に汲み取り、援助、応援をします。

<バランス取れた自然なあなたとは何か>?

<私>という不可思議でなかなかアンバランスな存在を、

どのように調整することができれば、バランス良く活かすことができるのか?

ケースによっては、その<在り方being(ライフスタイル・意識の回し方)>を紐解く話し合いにも及ぶこともあります。

「変容」「生まれ変わり」のプロセスという繊細でデリケートなテーマもサポートします。

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以上のことを前提として、

「こころの問題」について取り組み始めると、その実、

「いかに自己の世界観を形作り、いかに自然物としての自分のエネルギーを受け容れて、

伸ばして、燃焼させていくことのできる、意識の構えを、整えるのか」に還元されていくことになります。

その際、「安心・安全」を感じられる環境要因であることはとても大切です。

したがって、「この人になら自分の心を託しても大丈夫かも!」と直観できる、心のパートナーととりくむことが必定となります。