「カウンセリングサロン 生きる力」は
深層心理カウンセラー歴15年目になる大崎智代子のサロン(東京・虎ノ門)です。
前身はカウンセリングサロンfiore (2008年1月スタート時〜2016年2月まで)です。
「そのひと本来の姿が最上に花開きますように」
そんな願いをこめてfioreとはイタリア語で「開花する」という意味の言葉「fiorire(フィオリーレ)」にちなみました。

2008.1.1-2009.9 南青山時代のサロン

2009.9-2016.9 赤坂時代のサロン

2016.9-2017.11 中野坂上時代のサロン
心と身体と精神、魂の道案内人として、生きることの苦しみや生きづらさを
生きることの輝きや、価値、そして充足の方向に変えること
過去のべ15000時間近くのケースを経験しました。
その過程で徐々に提供内容として、花開くためのボトムにある<生きる力>の開発と根源的な知恵の伝達を体験プロセスで行うようになりました。
これにより2016年7月より「カウンセリングサロン生きる力」と名前を変更しました。

2017.11-虎ノ門に移転しました
<主宰者 大崎智代子のプロフィール 〜表情の変遷 before&after>
こころと運命のカウンセラー。日本で初めての「心のことがわかる」ラブレター研究家。
運命のいたずらを好転に変ずる秘技「タオセラピー」創始者。
東京都出身 1973年7月生まれ
熊本県出身 東京大学法学部卒 日立金属株式会社に勤める父親と
宮崎県と長野県に故郷を持ち、東京在住だった 日本女子大学英文科卒の母親との間に誕生
真理から生まれた子という母の想いにより「真理子」と命名された

ハイハイしながら絨毯のホコリを眺め研究していたことを覚えています
2歳のとき父親の転勤でアメリカのロスアンゼルスへ。

子供らしい無邪気さが表に出ない、寡黙なタチでした
7歳 とき同上の理由からシンガポールへ。

攻撃性の強い気質を受け止める心の器が育たなかったため、自分でもよくわからない「怒り」を持て余して、意味不明にプリプリすることの多い子供でした
9歳のとき帰国。実家の隣にあった中野区立の小学校へ編入。
13歳 私立白百合学園中学・高等学校に入学。

攻撃性は負けず嫌いにも出たため中学お受験もそれなりに頑張ったのですが、粘りの弱いところがあったため、最後に手を抜くという性質が。「理科」で御三家落ち。
バレーボール部に入り部活動にいそしむ。

セッターをやっていました。攻撃的エネルギーをこの頃はスポーツで解消していたのでした
18歳 慶應義塾大学文学部入学、慶應義塾放送研究会に4年間所属 (3年時に財務職)

大学2年生の頃、摂食障害と登校拒否症とが生じました。70kg台になったこともありました。心療内科や心理カウンセリングを受けたりもしましたが、まさか心の器が崩壊しているとは誰も気づきませんでした。困り果てて占い師を話し相手にするようになったのもこの頃です
22歳 同大学文学部史学科卒業 (専攻は西洋史、卒論は女性史)

表情が硬い、崩れない、と写真を撮ってくれた人のメモが裏書されていました。今思うと無理もありません、自分に嘘をついていることに無自覚なまま社会に出ようとしていたのですから
株式会社リクルート入社 学び市場開発部にて
『ケイコとマナブ』『仕事の教室』の広告営業をつとめる。
トップセールスの経験もへて、1年で退社

自律神経失調症により会社を辞めた後、22歳。「自分は物事が続かない」タチではないかという恐れも背負っているのがわかります。体重も再び増加しました。心の内側を硬くして身を守ろうとしているのが瞳の硬さに出ています。しかし外の世界との間に心の境界線が引かれていないのがわかります。自分がない、という表現も、没個性な印象です
23歳 編集プロダクションに入社(〜26歳)

親が想像する安全な生き方から勇気もって飛び出しました。今思えば世間知らずの無鉄砲と思う面もありますが、親元で自分を失い理解されず否定され続ける苦しさから自由になるために必要不可欠な過程でした。自分の腕で自分の選んだ道を生きる実感により、むくみと贅肉は落ちていきました
27歳 結婚を機にフリーランスのライターに

たくさんお仕事を頂いていた頃です。素晴らしい腕をお持ちのスタッフの方々のお世話になりました。恵まれた境遇に感謝するものの、瞳の奥の硬さがとれません。生きることに妥協と嘘は少々つきものと思っていたのですが、私の場合、その小さな妥協が心身の反応に全て現れました。再び人生を見直さなくてはならなくなりました
30歳 離婚
33歳 戸籍を「大崎真理子」から改名 。「広く智慧を知らしめる」の意により「智代子」に
啓示により「恋文屋.com」サイトをオープン、現在に至るまでに
各方面のメディアから多数出演依頼をいただいています。
その頃、同時に神秘体験があり、周囲より
スピリチュアルアドバイスを求められるようになる
10月から日本カウンセラー学院にて心理カウンセリングの勉強をスタート
34歳 「カウンセリングサロンfiore 」を東京・南青山で主宰しはじめる

カウンセラーとして駆け出しの頃です。週に1回の自我心理の教育分析を受け続けていましたが、私の場合、もっと深みから心の器を作る必要があったのでした。瞳の硬さは取れていますが、表情のゆるさや甘さが感じられます。確かな自分がまだ芽生えていないのがわかります
35歳 神経言語プログラミングの技術、ニューコードNLPマスタープラクティショナーの資格を取得
36歳 東京・赤坂 に移転・愛犬ポリーが家族になる

ワンチャンを飼うことで「素直さ」を学びました。欲しいものは欲しい、愛してほしいときは求める、そんな純粋さによって「私はもっと私になっていいんだよ」という、愛の力が引き出されました
プロセスワークの第一人者富士見ユキオ氏に師事する
週に2〜3回のハードな分析トレーニングを6年間続ける
「小説を書きなさい」の啓示を受け取り「魂のテーマ」の相克に突入する
ユングの錬金術のワークの伝授がはじまる

ユングの錬金術のワークを通じて目指すべき方向性が明確になったため自分の「芯」が少しずつ出てきました。それでもまだ瞳の色に迷いがあるのがわかります
「カウンセリングでの快体験を家でも」とのクライアントの方のリクエストから
「インナーワークのレッスン」をはじめる
魂からの声と五感および言語をつなぐための「深層物語セラピーのグループワーク」開始

深層物語セラピーのグループワークを何度も繰り返すうち、私自身もちょとずつ自分の感性からの言葉への自信が出てきて、こう。自分の発言への自信が出るわけですから、自己の存在そのものへの安心感も出てきています
39歳 タオセラピー誕生

タオセラピーにより、「私は何者であるか」がさらに明確になり、逃れられない自分のアイデンティティ確立へ一歩前進。自分のエネルギーの中の何をどのように回せば、私のエネルギーが開花する姿に近づくのかをつぶさに判明させられ、個性の輪郭がくっきりしてきました。それまで自分と他人との境界が曖昧になるところが多分にありましたが、自尊心がはっきりしだしました
母親から口伝で学んだ算命学と、
故・宗家 高尾義政氏著『原典算命学大系』全11巻を中心に各流派のテキスト研究に
深層心理学と自我心理学の「こころ」づくりの奥義を融合させて
魂という細やかな小宇宙を形成する、秘術を編み出す。
以後、母との対話を1日2〜3時間、365日欠かさずに行い
自己改良の点検を繰り返し、己の心を微細なレベルから磨き続けている
42歳 スピリチュアルアドバイスが進化して霊能カウンセリングに

自尊心のフレームがはっきりしてきたら、心の内面がぐんぐん柔らかくなっていき、スピリチュアル度も高まりました。個性の輪郭の中で表情が柔らかく光り始めているのが見て取れます
43歳 カウンセリングサロン「生きる力」に名称変更する
ホームページ「カウンセリングサロンfiore」をクローズ
新サイト「Art of life カウンセリングサロン生き力~生きづらさを豊かさに~」に
リニューアルオープン、ブログもかねた新たな発信スタイルにシフト
サロンを中野坂上に移転させる

実家のある中野坂上で1年間スローペースな仕事環境に変えて、たっぷりと自分の本質と向き合いました。いっそう安心安全の境地を獲得して、内面が緩み、純度が高まっているのがわかります
44歳 たっぷり自分と向き合い直し、自分の本心はどのように生きていきたいのかを
真っさらな心に戻した上で、答えを掴み取る
特に36歳の時から始まった「小説を書きなさい」という啓示の真の意味を悟る
それは「心と精神の世界を求めて活動している
私の人生そのものが小説の題材となっている」という点、
そのためにもサロン運営の傍で小説を書くのではなく、
サロン運営を活発に発展させる中から
腹から生まれる物語をつかまえなくてはいけない、ということでした
そのため、もっとも働く人の集まる虎ノ門の地での活動へと進みでる
現在の虎ノ門に移転
今に至る
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