ある日突然の悲しみ:死を巡り妬みの存在と向き合う

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皆さん、こんばんは。

今日は多次元トータルセラピーのワンデイコースを夕方までご相談者様と一緒に頑張っておりました。

午前10時〜夕方6時までの、トータル8時間コースなのですが、

時はあっという間に感じられます。

2時間ずつのセッションのほうがむしろ長く感じられることがあるぐらい、

このワンデイコースというのは<時間を忘れて、

魂の無の世界にドボンと飛び込む濃密な空間体験>だからなのだなあと

改めて実感させられました。時間の存在とはとても不思議で面白いものです。

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私はぱっと見では、こういうカラッとした顔をしているように見られがちですが

背後に負っている家族のテーマでは、死の匂いが付いて回る話が多く

その腹に収めてきた怨念は実は結構です。えっへん。

恨みやつらみや怒り、怨念は、無自覚だとそれにやられて泣き寝入り状態になります。

心が弱ければなおさらです。

しかしいかほどおのれがそれを秘めているのか、燃え盛る炎の中心で冷静に座することができる時、真実の思いに目覚めることができます。

むげに恨みや怒りに翻弄されることなく「対処」の道が見出されます。

 

私の場合、母親をめぐって、このほどあれこれ浮上してきています。

母が東(物事の始まりや社会)に金性(攻撃本能)エネルギーがゼロの性分を持った存在であることとも関係しています。

母に起こることといえば

世界のいたるところから、激しい攻撃性を引っ張ってきてしまうのです。

攻撃性がゼロであるがため、ゼロということは怒りをホールドするセンスが皆無ということであり、それすなわち怒りのエネルギー(元型)を持て余して、周囲にフローティングさせてしまっている状態であることになります。その数値はゼロの反対、つまり爆発的にとなります。

しかし、3次元に生きる母にとっては、まさか自分にそんな爆発的な攻撃性を背負っていることに無自覚です。ところが、エネルギーの立場にすれば常に、立ち現れたくて仕方ありません。他人を無意識に怒りの存在に変えることで、エネルギー燃焼を起こさせしめるのです。

わかりやすくいうと、母と向き合った人間が母に怒りをぶつけたくなりやすいパターンを母が持っているということです。

母が自分の攻撃性に目醒めない限り、それは繰り返されます。そのため怒りを無意識に引き出し、またそれにやられては自分も傷ついて、同様の恨みを腹に抱えて、を何度も重ねた人生だったようです。

その悲しみたるや、一言で言い表すことはできません。

母そのものに罪はなく、母もまた自分の因果のために、生きることにたくさん悩んで苦しんできている存在であり、その<気>を私がもらっていたとしても、もう肩を落として

母と一緒にため息をついてお茶をすすることが、二人にできることの最大だと思っています。

親子は一蓮托生です。エネルギーの目に見えないレベルの交流があります。影響を知らないところで及ぼしあっています。

私もその金性ゼロの悲劇を共に経験してきたような感覚です。

私のクライアントの方は周知でいらっしゃる方が多いのですが、まずは母の水子の死、つまり私の兄にあたる赤ん坊の中絶死、それに始まり、私の運命も本当に身を削るような部分は多分にあったのですが、それがあまりにも<気>の世界の話すぎて、合理的に見たら、なぜそんなに危機感を抱く?と普通の方には取られてしまうかもしれませんが、

 

実は今日、帰宅したら母との電話で、

「実家の猫ちゃんが皮膚ガンであることがわかった」と言われたのでした。

 

えええええ!!!

涙。

 

まだ7歳なのに。

 

即座に、それが母の二次プロセスとして現れたことに震え上がりました。

母に皮膚の問題がないかと問うと、「シミがカサブタになって痛い」と言います。

 

えええええ!!!

はよ、病院、行ってくらはい!!

「やだ、行かないよ」

 

絶句。

猫ちゃんも、手術しても繰り返すのは気の毒なので、一年の寿命ともう思ってしまっているようです。

 

実は母の「結果(神言)世界」は<有形の物を手にすると激しい虚無に襲われて、常に無でいることを求める>ものがありまして・・・・。

 

最近、実家の食器棚にあったボンチャイナを私にあげようかと思って触ったら、もろっと壊れてしまった、というのです。驚怖!

 

猫ちゃんが皮膚ガンになったのを受けて、私は我が身のように思われて胸が痛みます。

私は、そういう危機感を覚えたため、家を出たのでした。

母の気をすぐに受け取り、もろに<破壊>に向かって自分が進んでいくのがわかるからです。

母に罪はないのです。。。どうにもしょうもない人間の業というか因果というか。

それだって、やっぱり、私のプロセスは既に<非現実的現実=精神世界としての現実>しかない存在です。

こうするしか方法がなかったのです。

 

実家の3階建てのマンションが35年目に入りました。

今年の夏、水道管に問題が発生し、母はリフォームするつもりもないため、犠牲となった猫ちゃんと同じプロセスの中にいる運命と私は洞察します。

しかし同居しているある親族が反対をしています。

このまま行くと、母が死の中に入っていくのではないかと私は危惧し始めました。

その母に向かって「自分に孫がいないことを(孫を持っている自分と比べて)妬んでいるのよ」といった親族を私は蔑みます。事実でもあるかもしれませんし、あるいはたとえ事実ではなくても、そういう見方しかできない人間性であることに対して。

 

そしてそれを天に委ねます。

その言葉を放った人は、明らかに妬みを抑圧していることがわかります。

深層心理の仕組み身だからです。だから自分以外の人にそういう感情があると見えるのです。

その人間に待ち受けている未来は、妬みのブーメランでしょう。

しかしこれは天が決めることであり、私のすることではありません。

私の成すべきことは、相手のセリフに飛び出したゴーストロール

「妬み」の存在をしっかりと直視することにあります。

それが一番大事な仕事です。

そこで、私は己の「妬み」の中に降りていきました。

「死」の匂いをやはり察知します。私の投影もあるかもしれませんがね。

しかし、そのような関係性が隠された対象の

人間からは一刻もはやく母を切り離さなくてはなりません。

母が相手から引き出した因果でもあり、母にも問題はあるでしょうが、

それよりもプロセスが読めながら放置しているわけにはいきません。

その親族には私の兄の存在を打ち消すようハッパをかけたという前科もありますし(もちろんそれに合意した母の問題でもあるけど)、はっきりと今回は小動物が肩代わりしてくれている。

 

表面的な有象無象に気取られて大切な命を落とす必要がどこまであるでしょうか?

犠牲となった猫ちゃんにこれから毎晩、ヒーリングの祈りをしながら眠りたいと思います。

ぐすん。

 

猫ちゃんと出会ってからの短い時間、瞬く間に過ぎてしまった。

このことを受けて私は、もっとしっかりと魂の中に飛び込んで、

永遠の時間の中に止まろうと反省しました。

 

現実に目を向ければあれこれ、嫌なことのないこの世ではありませんが

それに振り回されるよりももっと大事なものを大切にしたい

強く感じたのでした。

それは、「魂」とか「愛」とか「絆」とかの中にしかない「豊かさ」です。

 

ほっておけばとかくこの肉体に襲ってくる

人間的なストレスの何もかもを感じることのない、あの境地のこと。。。。

 

魂の中にいるときにだけ味わえる

あの濃密で時間のない海の中へ。。。

 

猫ちゃんの写真が私の手元にはないので、今日の愛犬ポリーちゃんをあげたいと思います。

「ポリーちゃんは長生きしてね」

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