
あるクライアントさんが
「タオセラピー」を形容するにふさわしい言葉を探して教えてくれたことが
近頃私を深い幸福感に導いてくれた。
その中の一つに、胸を突かれた。
「タオセラピーとは、愛を感じることができるようになる」
と言ってくれたことだった!!
しかもそれはーーー、その方が体験した感動を
他の誰かのために伝える言葉を探そうとして
見つけた言葉だった。
単に、私(大崎)に対して「良かったです」と感想を述べる言葉とは、
意味もわけも違うと、私は思っている。

「愛を表現する人になること」
小学生の時から目指してきたことでした。
その命題があまりにも難しすぎて、私は人生を複雑にした。
バレエダンサーとして、でもない。
俳優として、でもない。
小説家でも、足りない。
コンダクターでも、ない。
宗教家でも、ない。
どうやって私は愛を表現したいのか?
既存の物にはどこにもない。
悩みに悩みぬいた。おまけに私は
「体験的に愛を感じさせたい」人だった。

オンリー1の愛をどうやって人に渡していくことができるというのか?
広大な宇宙たる愛をいかに掴み取り、おまけに他人様にまで感じさせられようというのか?
悩みに悩みぬいた。
しかし、悩みぬいて傷ついて身を削ってもがき続けただけのことはあったと
今は膨らむ感謝の想い。
タオセラピーは、私の生きづらさと、
深層心理のカラクリと、古代東洋思想とが
融合して生まれた。
お金があるからでもない。
恋人がいるからでもない。
子供に恵まれたからでもない。
土地があるからでもない。
その方は「自分らしい意識の回し方と追いかけるべき生き方」
をタオセラピーを通じて身につけることができるようになったために
・・・つまり、自然体の自分に還ることができたから
「愛を感じられるようになった」というのだ!!

関係も物質も、愛を感じられているかどうかによって、命運は分かれていく。
その方の感性の鋭さにも私は感謝しなければならない。
出会いに感謝。
ーーー出会うべくして出会っている。
艱難辛苦に感謝。
ーーー通過儀礼なくして夢の現実化はない。
私の愚痴っぽい性格にも感謝。
ーーーストレスから光に続くベクトルが見えてくる。
恵まれたことも、恵まれないことも、あらゆる出来事が
私を「愛を伝える人」・「愛を体験させる人」へと突き動かしてくれた。
感無量。
これ以上の言葉は見つかりません。
全ては自然のなせるわざ。
いろんなことは結局、自然の計らいでそうなっているだけのことなのだ。
近頃私は、風の心になりつつあります。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。