やりきれない時に〜幸福は絶望の上に

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フランスの人気哲学者アンドレ・コント・スポンヴィル氏の『幸福は絶望のうえに』という本が好きです。

絶望があるから、幸福を感じられる。

絶望がなければ、幸せよ、何処ともがき続ける永遠の欲望という名の列車でしょう。

ちょうどSAPIOという雑誌の切り抜きを眺めていたら、

落合信彦さんがアイルトン・セナ・ダ・シルヴァ氏にかつてインタビューした際の言葉を紹介なさっていました。それも同じでした。

「挫折や悲しみがあるからこそ幸せも感じられるのだ」

はい、私は5年〜10年の単位で、大きな絶望の波が押し寄せてきます。

小さな絶望であれば、2〜3か月に一度は経験しています。

中ぐらいなら、1年に1度はドカンときます。

何度も繰り返すうち、激しいトラウマの塊にさえもなってしまったほどです。

(ここを治癒させようとは思いません、個性としてそこにトラウマがあった方がいい場合もあります、もちろん不自由になるほどであれば、治癒させる必要がある場合もありますが)

しかし、そのおかげにより私は小さな幸せをたくさん見つけ出し、

感じ取ることができるようになり、コツコツとした日々に充足しておりました。

なのに、今日という日にまた、本格的にまた大きな絶望の淵に沈んでしまいました。

アイデンティティの崩壊を、またも経験しなければいけないとは!

何があったとはここでは残念ながら書けないのですけど。

「やりきれない!!!」

パニックな部分を押し隠しきれません。

受け容れたくない!でも、受け容れなきゃならない・・・。

どうしたら、どうだったら、受け容れちゃえるかしら??

何度も反芻を繰り返します。

ここから新しいアイデンティティーを膨らましていきます。

今はまだその途中。

これを受けいれた先にはもっと大きな幸福が待っているのかもしれないと、

自然の法則に信頼を寄せつつ・・・。

 

私の開運の鍵、それは「立場を求めないこと」・・・であることを思い出します。

それを追求して、今の状態があると思っていたけど、無意識に私はここでもまた立場を求めているというのか、宇宙のイヂワルと言いたいところだけど。

どこまでいっても私は「空」(くう)であり続けることを、自然の風によって求められているようなのです。

風が私にそれを求めるなら、なぜ私がそれを受け入れない理由があるでしょうか、ね。

 

今日はこの辺で。

人生は回る大車輪です。


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