
年を重ねるごとにエネルギーが軽くなっていくことを目指しています。それすなわち、こだわりのけずりおとされた精神を養いたくて、であります。
みなさん、こんばんは。
きょう(あけて昨日)のセッションであるクライアントの方が
「風を感じて生きるのが好き」と、深層のワークをとりくむ過程で見つけられていました。
非常に共感させられました。
この方は、身体症状や身体反応にとかく不調和を発生する傾向にあり、さらには
「仕事スイッチをいれたいのに、なぜ入らないのだろう?」 というテーマをもって
私のもとに訪れてくださいました。
うつを背後に負っていらっしゃる方の多くは、
「おのれの自然」を見失ってしまったことによるところは
大きいと私には観察されています。
そのひとがいったいどのような「自然」を見失ってしまったのか?
深層のワークを行う過程でそれはバンバン飛び出してきます。
重要なのはそのワークを通じて発見したことを、現実でいかに生きれば、それとなって生きていることになるか? の謎解きをしていくことにあると私は考えています。
このあたりの話合いを私は入念に行わせていただきます。
なぜなら、そのひとなりの世界観によって、それは現実では無理!と切り捨てられてしまってたり、ふたをされてしまっていたりするのも、人の心の動きの定番だからです。
このクライアントの方の場合、現実の目の前のことや時間に追われる意識が強すぎて、
風として生きることを忘れた結果として、身体症状を招いていたのでした。
かくいう私も、長年、おのれのアンバランスさに悩み苦しんできております。(ほっておけばノイローゼにどどどっと傾く)
それを打開する現実の構築に時間とエネルギーをかなり費やしてきています。
つぶさに見失われた私を点検し、ちょっとずつちょっとずつ現実にそれをとりこむことを推進してきました。
目指すべき山頂は、意識がはてしなくワイドに分散された境地であると、追いかけてきました。
とかく私の天然由来の気とは、混とんと分裂が激しく、多動症のごとく不安定極まりないのですが、自己分析の結果、「広々としたスペース」で「何もなくすっきり」としていて「見晴らしのいい場所」であれば安定して自己の内面を見つめられるということに気が付いていました。(ちなみに、シャーマンは自分の石や自分の場所を見つけることから修行が始まります)
あとはどこでどのようにそれを達成させるか!環境要因として。
ーーーとタイミングを見計らっていました。
そしてこの晩夏にそれは突如、やってきました。場所はここでは内緒ですが、一応23区内で、28Fの一部屋に出入りするようになりました。
物は必要なものしか置いていません。ホテルみたいな空間が大事なので。
ミニマルに必要最低限のもので十二分に満たされた気持ちになります。

わたしにとって本当に大切な家庭用品は、居心地のいいデスクとチェア、すっきりデザインのPCとiPhone
スペースというのは実に有難い。この場所にやってくるために過去30年の闘争があったんじゃないかとさえ思いたくなるほど、ひょうたんからコマのラッキー。実際、ここで過ごす時間を増やし始めたら、ぐんぐんと風のような意識が育つこと、育つこと・・・。
それにしても、毎年、自分の過去を振り返りながら思うのですが、1年先はまったく予期しない状態になっているのです。本当によくもまあ毎年。
結局、未来を思い患いすぎてもまったく予測不可能なことはいっぱいおこるわけだから、未来にどうなるかだなんて計算して思いあぐねても、雲散霧消してしまうことなんて、いっぱいあるのにさーと、私はますます「今ここ充実型」になっています。
それだけにあたえられている現状のなかで幸福をたくさん感じられる、心のひだを磨き続けたいと思うのでありました。

関東平野がひろびろー、青い空ははてしなく高く輝いて
自然の力はそんな感受性を高めてくれるとっておきのギフトではないでしょうか。
あなたの心に必要な自然とは何でしょうね?
私は大地と水と太陽と草木と街と・・・全部必要なタイプなので、しっかりとその精神を回復させてきましたが、いちばん行動力が自然とわいてくるのは、風の心でいるときのように感じられます。
仏教用語でいうと「無」とか「空」とか。
今年の7月で45歳になりましたが、この先は、
すっきり、さっぱり、さわやかな風の魂を胸に
日一日と感謝を重ねて
精進し続けたいと思います。
きょうはこの辺で、おやすみなさい。
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