
心と運命のカウンセラー 大崎智代子です。
今日は「守備」について考えました。
みなさんは「身を守ること」の大切さを意識できているでしょうか?
古代東洋思想では「守備」から現実は始まると捉えます。
おそらく「守備」と言われてもなんのことかピンと気づらいのではないかとは思うので😅
「守備」とはなんぞやから。
ユング派では「自分になる」ことを「私という樹になる」という表現をしますが
東洋思想では「木性」を「守備」の世界と定義します。
「樹」が象徴するのは「仁徳」であり「慈しみ」のワールドです。
「私が自分の身を守って存在を確立した時」に
「社会で何を守っていきていけばいいのか」が見えてくるという方程式です。
* * *
東洋思想はさらに細かく人生のプロセスを教えてくれます。
肉体的な始まりは、母親から命を授かった時に
「私」という個が誕生するにはするのですが・・・
存在の旅路は、精神から始まるというのです。
まず、幼い頃に「楽しいこと」を習得します。
その「楽しいこと」を土台として
「信用を得て、愛情やお金」を獲得します。
次に一度、ここを中心として現実の「闘い」を展開します。
その「闘い」の中には家の中の調整、心の調整、協力者との交渉があります。
この「闘い」の積み重ねを通じて「精神が成熟」します。
そして「精神の成熟」の後にやっと「個が確立」されます。
「社会の何を守っていこうか」という視界がこの時に、開かれます。
「私は何者か」という存在感が出てきます。
* * *
したがって、実は<守備>を確立するテーマというのはこれは、
ある程度の社会経験を超えた30代後半からのシナリオになります。
ここから人は再び<新しい守備の形>を持って
<楽しい>と思えることを発信して次世代への影響を及びしながら
「信用」を積み上げていきます。
その積み上げを持って、
再び家の中の調整、心の調整、協力者との交渉・・・
このサイクルを、何度でも繰り返して精神的、知恵者へと進んでいきます。
* * *
その中で「身を守る」というのは
<私>と<他者>の区別の付く状態を言います。
当たり前のことを言っているように思われるかもしれませんが
意外や意外。
みなさん無意識に自分の当たり前を、他人に重ねて、
期待したりすることがよく起こります。
「投影」とか「投影同一視」が起きています。
親密な相手であればあるほど、
それは起こりやすくあります😅 困ったことに😓
「私だったら、こうするのに、なぜあの人はこういう反応なの?
私のことが嫌いなの? なんだと思っているの?」
・・・このような経験はないでしょうか?
「大崎さんと対話をしていなかったら、私はとっくに彼との関係を切り捨てていました!」
というフィードバックはよくいただきます😅
しかしこれは、ご当人の世界観からくるものでありともするとそこに
「相手は私と同じタイプ」という淡い期待が湧いていたりするのですが、、、
現実は、その通りにはいかない・・・
この現実の反応に対して、人は・・・
心折がれたり、いじけたり、苦しんだりします😓
現実的には、<私>の思うところとは
まったく別の論理で動いていたりするのですけどね。
(例えば、相手の性質、相手の運気、本人の時の運などなど)
このために私たちは傷つかなくても本当はいいのですけどね😅
ですが、この背後では「心の成長」「心の発達」「心の成熟」という大きなギフトがあります。
悶え苦しみもあるかもしれなくても・・・😓
そうして時を経て人は「傷ついていたあれは、実は私の問題だった」と気づく日を迎えます。
(いつになるかは人によりけりですが)
手前味噌ですが、少なくとも
私のところの心理カウセリングを受けていらっしゃる方々は
この問題に開かれるスピードが早いように私は思います。
そうして「私はこういう存在だ」
「私にはこのようなパターンがあるから心して、このように行動をとるように気をつけていこう」と
「自覚」の高い人生を紡ぐことができるようになります。
このような状態に至る時
人生はもっと楽に
そして自分のための時間を
大切に生きることができるように
進化すると
私には観察されています。
そこで整理したいのは以下のポイントです。
守備力の高い人間とはこんな感じです▼
・私と他人は別の世界の人(例えるなら、いっそ、別の小宇宙、小惑星)
・基本的には、他人はあてにならない。相手も自分を守って生きることで精一杯です。
・そもそも、<私の世界観>の主体者は私でしかなく私のことは私にしか管理しすることができない、という強い自覚を持っている。
・<私>の扉を開く鍵を握る管理人は<私>につきることを知っている。
・「私が私のことをわからないのにどうして、他人が私のことを真に分かり得るというのか?」という「確かな自尊心」を持っている
? ? ?
あなたは「守備」をしっかり展開できているでしょうか?
もしも「え〜!」と反パクを覚えるようでありましたら
「自分と他者の区別が曖昧のまま」現実が混沌としていることに無自覚、
その分、意思と力を持って現実を押し通そうとして
もがいていらっしゃる可能性が高いと思われます。
それはそれで人生は自由でありどのように生きるかは全くのその方次第です。
ただ、いろいろなケースを見聞してきた立場としては多分それは・・・
「エネルギーの浪費」「ストレス」が大きくなるんだけどなぁ・・・と
老婆心から心配させられてしまうのです😅
* * *
そうはいってもたまに相性のいい間柄というのがあります。
そのような場合は「私の一部」を写し返してくれることがあります。
たまたま放った一言が
「おお!それは私だ!」と感銘を覚える瞬間を
親しい人との間で経験したことがありませんか?
ですが、それとて「私の一部」であって
「私の全体」ではありません。
人と人が助け合い、支え合うのは大変に尊く素晴らしいことです
時の運の采配によって中には<私>が確立されていなくても
<ともに支え合うチャンス>に恵まれることもあります。
それはそれでその自然の流れの通りでいいのだと思います。
しかし、特に運が落ちていると思われるときには
こうはなかなかいきません。
そうした時に最も重要な「開運の基礎」は
<私こそが、私を一人で守り通す>というテーマと向き合うことです。
誰もに、他者には理解し得ない領域があります。
本人がその「隠された私」「見失われた私」の問題を把握して手なずけて、
他者に過剰にそれを映し出さないで
「お役割に徹する」ことができることを
<守備が確立される>と言います。
その上で、社会を渡る時には社会仕様の
「仮面」をつける必要があります。
たとえそれが、親しい友人であっても、
心許すパートナーであっても、です。
「素顔」を見せる度合いがそのほかの人に比べて増えるとは言っても
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉の通りです。
ところが、多くの方は「仮面」のないまま
「素の自分で体当たり」しているようにもお見受けします。
それはそれで楽といえば楽かもしれませんが、、、
長い目で見た建設的関係性の構築につながるものとも言い難く
無意識りの共依存的関係を助長することにもなりかねません。
もちろん、それだってそのプロセスが必要だから
発生しているだけのことと私は思いますがただ、
ご当人がもしも「苦しいな」「しんどいな」と感じるのであれば
「苦しみ」から自由になるお手伝いをしたい私の立場としては
「自分を自分自身で守る」という作業をお勧めしたくなるのです。
近頃は「自己理解」という言葉をよく
クライアントの皆様から聞くようになりました。
誰よりも「自分のことを深く知っている」ことができる時
人間関係も、社会での渡り方も、お金の稼ぎ方も
もっと楽に自由に掴んでいくことができるーーー
私はそれを強く主張したいと思います🤗
こういうのを簡単にいうと「自立した精神」というのでしょう。
「自立した女は可愛くない」という言葉を遠い昔に聞いたことがあるのですが、、、
多分それは、若いまだ自立していない男性のセリフなのだと思います😅
私は50代手前の中年で大人の愛情関係の話を
たくさん耳にさせていただいていますが
働き盛りの男性が女性に求めるものは結局
「女性の自立」だったりするよなーと観察しています🤗
逆に女性は男性に父親のイメージを重ねることが多いから
自立した男性を必要としますよね。
中年以後の女性で年下男性との関係が展開される方というのは
未統合の「大いなる母」のような懐の深い女性のイメージを磨く
タイミングが来ていることを表していたりします💖
* * *
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[…] 前回「守備について」の記事を入れました。 […]