
梅がビルの一角で可愛らしいマゼンダ色の蕾をつけていました。人が「自信」をつけるというのは「1本の樹木となること」を意味し、さらにその豊饒さはこのように花を開かせていく時に現れてきます
今日は「人生の影の面」について。
「自信」という言葉から。
<自(うぬ)>を<信>する、というわけですね。
<信>とは<まこと>とよびますよね。
つまり、<うぬ(自分)>の<まこと>である時に
「自信」になる、というわけですわ😲😲😲😲
カウンセリングにお越しくださる方も
鑑定を通じて不安を補い、未来の道行を確かめたい方も
揺らいだ「自信」をしっかり、はっきりさせたくて
サービスをお求めくださっていると
言い換えることができます。
大事なことですよね。
自分がしっかりとしていなければ
「的確な判断」も出やしない。
自信がない時というのは、
心がぐらつきます。
手すりや杖を支えにしなければ歩行できないのに似た状態です。
自分の外にあるものに、しがみつきたくなります。
他人の評価を基準にしたり、
他人の反応に振り回されたり。
芯(自分の中心)がぶれているから
自分以外の誰かのことを責めたくなったり
それが大切な人であっても
そのあるままと向き合うのが辛くなったりしても
自然であるわけです。
<うぬ>の<まこと>とは、<本質>のことであり
ユング的に言えば<(内なる)神>や
<自然がその人を産んだ理由>のことであったりします。
何が<うぬ>の<まこと>か?
そのエネルギーの在りようを感じていただくための
セッションを日々心がけています。
<自信>を磨くということは
社会の荒波を渡っていく現実で
家庭という現実を支える現場で
サバイバルする上で、重要なエンジンを搭載することです。
心理学的な言い方での
<自己肯定感を高める>ということもふくみます。
でもそれは、何か?
発見するのは、一人ではかなり難しい作業になります。
「自己啓発系の本を読めばわかるのでは?」と
質問くださる方もいますが、
それ以上の部分が個性には山ほどあります。
本に書かれている世界やメソッドは、著者さんの持ち物の範囲でしかありません。
もっともそれも一つの集合的無意識だから、共感させられるには違いないですが。。。
ズバリ、足りない。
あなたという存在は、それ以上のもの。。。
そしてそのもれこぼれは、とりわけ「関係性」の中に飛び出しているのに
ご本人はなかなか気づけない。。。
自分の世界観の枠の中でしか世界は見えないからです。
エネルギーは相対性の原理に基づいており、
相補的な中ででしか自分の全体を見つけられないのです。
惚れた男女が、お互いを鏡にしているのと、一緒です。
相手がいなければ、自分を見つけられないでしょ?
カウンセラーはそれをさらにもっと細かく知的に把握して、
それを恋人以上に言葉にする力を持ちます。
私はみなさんの鏡になるべく
普段の中で起きている出来事を伺いまして
それに対し、どのように心を動かしていらっしゃるかを
教えていただきます。その中で
その方もまだ気づいていないその人のエネルギーの方向性を
指摘してさしあげています。

動体視力がこの仕事を長年やってたら軒並み上がってしまった。卵もお皿も落ちる前触れの段階でキャッチしている自分に気づく方が、体が動くのよりも後になったのには、自分で笑いました。どんどん並みじゃない度が高まってきて普通でいたいコンプレックスが疼きますが、弘法大師様のおっしゃるように「欲をかくならとことん突き抜ける!」と行かないとね。変わった自分をガンガン受け容れて、心を磨き続けております!
それは私には、まるで水があふれ出るように、
光がわーっと放たれるように
一つのエネルギーとして目に映ります。
捉えられたものをお教えさせていただくと
たとえご本人の自覚外であっても
意外や意外
「まだよくわからないけど、なんとなく感覚的に分かる気がする」
「確かにその通りだ、納得だ、すっきりしてきた」
と仰ったりします。
ご自分のエネルギーのことは使いこなせていなくても
長い月日の中で薄々感じていたりすることって多いものです。
このような対話を行うことで
無意識に持て余されていたエネルギーが収まるべき場所を見つけて
ストンと「収まり」を見せてくれるようになります。
問題に感じていた現象が、小さくなって、すっきりとしていきます。
不思議なことに、人は、この「うぬのまこと」を見つけられないままに
現実を右往左往していると
他人に対して感情的になりやすかったり、
他人に対して批判的になりやすかったりします。
あるいは、妙な出来事に遭遇したりトラブルに巻き込まれたり、
体がきつくなったり、関係がうまくいかなくなったり、さまざまです。
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かくいう私も、自信なんてこれっぽっちもありませんでした。
いつもビクビク、ガクガク、震えて、ヒーコラ、へーこらと、人にいい顔を見せて
好きでもないことも平気で選択できたし
自分を偽って生きていました。
そのツケは時間とお金とエネルギーと体力の摩耗という形で現れました。
ところが、ダメな自分や、へんてこりんな自分や、意味不明なパターンの一つ一つと向き合い
許すことができ、さらにはそれを好転させて活用することができていった時に、
安定と安心と幸福感と充実感に包まれていきました。
ザ!自信!です。
私はしがないフールのような人間ですが
フールという言葉が最高の賛辞であることを知り、
それを喜んで生きています。
(人に対して失礼をかけないというマナーは守るとして)
人からどう思われるか?という他者評価は脇に置き
私にとって大事なことである
自分の身を守って、自分をしっかりハンドリングして、自立をガッチリして
人の幸せのために、エネルギーを与えて生きることをいかに達成していくか?
ということに集中して生きることを喜びに思っています。

ポリーがいつも見守ってくれているおかげで自己の掘り下げを頑張ってこれました!?(かなり精神的に支えられているのは本当)
誰にも恵まれないものや、バランスの悪いところはあって自然です。
私はそういう人を愛します。
私もそれなりにバランスの悪いエネルギーの持ち主だからでしょう。
バランス良い人生の作り方を追いかけようとするとしんどくなるので
諦めました。
地で生きられる喜び、バンザイ、大ウェルカムです。
***
そして、、、、もっとも私が呆れてきた自分自身を
題材にアウトプットを進めなければ
私の個性がはっきりとこの世に現れてこないのではないかという
受け容れも近頃進みました。
それは〜、頭の中が恋愛脳であることとか
精神世界が大好きで、いろんな占いの先生の反応を見学観察、
コレクション研究するのが大好きで止まらないこととかです。
私の研究投資費用は半端ありません😤😤
異様な自分に自分でびっくりしてきてたんだけど
嫌という程わかったのでした、止めたくてもそれは止められるものではなく
私はそれこそが命なんだ!って。
そしてその現象をストップさせる代替行為が、
この問題のお話を紡ぐこと、という結論に至ったのでした。
私に描ける舞台はもう、これしかない!!
ここまでくると、怖いものなしですね。
野となれ、山となれ、当たって砕けろ! デス。
この感覚は、第二チャクラ(セクシャリティーの場所)に
スイッチが入るのと共時的でした。
***
あら?
「人生の闇の面」について書きたかったんですが、
丸っとひっくり返って、イケてない不信な自分も喜びの種みたいな
落とし所になってしまいましたね。
次に「闇」について書くときは、もっとドロドロとしたトグロの話が
出てくることに期待したいと思いながら
今日はこの辺で!
おやすみなさい。🌌zzz。
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