今日のラストのクライアントさんが「欲望に忠実に」とおっしゃいました。
いいこと、言うね〜❤️
その方は長いクライアントさんですので、「欲望」の意味は、「魂の欲望」「本質の欲望」であることはよくお分かりの方です。
ただのエゴの欲望ではありませんよ(笑)。
全く「本当にその通りだよなあ」と感銘を受けながらお話に耳を傾けていました。
私は人生前半で自分のこと(本質)をよく知らなかったので、両親が想像するような人生を夢見ました。
エゴの働きもあって、私はかなりその夢見に欲望を働かせていました。
これをそぎ落とすのには結構な、年月とエネルギーを割いてきました。
あいにくそんなものよりももっと追いかけたい「魂の欲望」があることに
私は最近、はっきり生身の実体感として感じることができるようになってきました。
それは、「私の経験を書いて、書いて、書いて、書きまくりたい!!!」(ほとんど遺書のごとく!)という欲望です。
そしてそれでもって世間の苦しんでいる人たちの瞳に明かりを灯したい!!!という壮大な欲望です。
両親はとても現実的な人間で、普通のサラリーマンで、身を守って生きる人生を築くりました。
私もそうだろうと頭でそれを追いかけましたけど、とにかく合理的に現実を創っていくことが全く向いていない!ということが40年ほど生きた時に確信しました。
現実的になるほどトラブルが繰り返されるからです。
世間には現実的になった方が運がつく人もいますが、そうでもない人もいるのが、自然。
私は後者でした。
私に向いていたのは、精神エネルギーの中から現実を生み出すことでした。
親子は「陰陽」の関係ですから、子供が親と入れ子の特質なのは自然です。
親に現実運がついたということは、私には現実よりも精神性が開運のポイントとして宿ったのでした。
けれども幼い自我は親の模倣をして安寧しようとする傾向もあります。
しかし親と似た生き方を追いかければ追いかけるほど、私の傷つきが増えることに直面化し続けた時、
嫌気と吐き気ともに、本来あるべき方向へ、きっぱりと転換したのでした。
今、自分らしいライフスタイルの中で生きています。
かつてのように現実を見ず、精神だけを見つめています。(信号を渡るとか、切符を買うとか、そういう現実はちゃんと無意識で対処できるようにもライフスタイルを調整しました)
おかげで、すこぶる平和です。
変なノイローゼも依存症も激しい衝動性もピタリと凪のように静かになっています。
あとは、先の「欲望に忠実になること」が課題です。
私も目下、取り組んでいる真っ最中です。
時を忘れて、文字を打っては修正しを繰り返しています。
体が疲れちゃうかなーと思うことあっても、実はちっとも疲れないのでした。
無意識から泉のように湧いてくる言葉だからです。
頭で考えて書くという感じとも違う境地を、ようやく掴めてきたのでした。嬉しい。
独り身ですし、ケースが終われば、時間の自由があります。
浮かぶまま、言葉と過去の風景がどこまでも続く海を泳ぎ続ける深夜を迎える、近頃なのです。
もちろん、散逸的に飛び出してきた文字や景色を、整理整頓し直す作業もあります。
そういう時も無意識に客観性をフル作動です。
夕方のクライアントの方は「私は私と精神世界と言葉があるだけの人」とおっしゃっていましたが
これまた「いいね〜❤️」です。
あるクライアントはこのためのプロセスを「勇気がいる」と表現しますが、本当にその通りです。
しかし、いったんその境地に入ってしまえば、もう極楽です(笑)
全てのこだわりから自由になって、魂が求めていることのために時間を与えていく。
その他のことは自然が勝手に答えを運んでくれるものであります。
「結果は自然」というのが、私の祖母の口癖でした。
一人でも多くの方が、生きることの深い喜びとともに
天命を全うされることをいつも心より祈っております。
今日はこの辺で!
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