
スマホで見るとこんな画面です
みなさん、こんばんは。
ブログを新しく立ち上げました。
ここのサロンのサイト内にあるブログでは
どうも腹がいいたい事とずれていってしまうため
筆が途中で止まってしまう傾向を観察しながら、新たな枠組みを作る事にしたのでした。
私の本願は何か?
タオセラピーをご存知の方であれば、ご理解可能とは思うのですが
私の精神の未来の方向にある「貫索星」(自我やオノレを守ること)に従うと、どうしてもここに行き着くのです。
しかし、私の現実の未来の方向にある「禄存星」(愛とお金、愛情奉仕)をも包括した内容であると自負しています。
しかも、私の存在としての「気」の向き(ネイチャーの呼吸に耳を傾けたときに、発せられる肺活量の大きくなる方向性)を検討すると、「貫索星」を大事にすることが必須なのでした。
何度テストしても、私の意識の流れは、ここにしか行き着かないのですが、
最終的なブロックはなんであったかと言いますと、(これが笑えるのですが)
私自身が自分の世界をものすごく追いかける性分であるがゆえ
他人の貫索星世界の表現(例えばエッセイストの人たち)が好きになれず批判的になってしまって、その手段を肯定的に考えられないというポイントでした。
ここに気がついたのは、母親と対話をしていた時、母が自分のことばかりを書いているエッセイスト(群ようことか森茉莉とか山本文緒が好きなのですが)を評価していることに私が首を傾げたことでした。
あれ? どうして私はそれらを肯定できないのだろう?
こんなにも自分も行き着くところ「自己」への関心が多大な人間であるのに!
と素朴な疑問を向けてみたのです。
私も彼らの仲間入りをしないと、自分の「貫索星」が行き場をいつまでも見つけられなくて(単に無意識行動として展開されるばかりで、積極的にそれを活用している充実感を得られない!)、しんどいまんまなんだろうなと理解できたのでした。
そのことに気づいたその日、私は何度も呪文のように呟きながら内観しました。
「私の世界」「私の世界」「私の世界」「私の世界」・・・と。
(ははは、石門星という集団の和合星の方からしたらちょっと狂気のように感じるでしょうかね?w)
しかし、驚くことに私はこの呪文を唱えている時が、「大丈夫だよ」とか「安心していいよ」とか「幸せになっていいよ」など数多あるフレーズの中でも群を抜いて・・・過去最高に精神的な幸福を感じられたのでした。万歳。(どんだけなんだ、私は!)
私という存在は、誰でもわかっているようで、一番わからないものでもあるかもしれません。
気がつけば自分に甘くなってたり、それでいて劣等感のドツボにはまって苦しみもがいてみたり。それなのに、それを認められなくて、ますます悪循環になってみたり。
「私」をめぐるドラマほど面白いものは、この世にそうそうないかもしれません。
すべては「私」の幻想から始まるからですw
それなのにちっとも「私」を捕まえることができなくて、現実で悶々と苦しみ生きる人間の一代表として、私の体験手記的内容を通して、皆様の役にたつ知恵をシェアし続けられることを絶えず願ってやみません。
ご覧いただいている皆様、いつもありがとうございます。
よろしければこちらも合わせてお読みいただけましたら幸いです。
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「私 - who I am -」
<私>はどのようにして<私>になったのか?
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