
自然の美しさはそのはちきれんばかりの生命力かなーと見とれます。<私は私!>誇らしげなその佇まいに習うもの多しです。
表現や行動をし残したままでいる時、人はナーバスになります。
すべてのことにおいていうことができますが、
「上手くいくかどうか」を思いあぐねたり、気遣ったりしすぎるあまり、
表現できないままでいたり、行動できないままでいたりするとき、
置き換えとしておかしな行動に取って代わってしまうこともあります。
大切な事は、<自分のエネルギー燃焼>です。
人は生まれて、いつか死にます。いなくなります。
もしも中途半端にやり残したままにしていることがあると、
その問題が、ちらちらとその人の進行過程に登場して、
前進やステージアップを阻んできます。
死ぬ間際になって後悔することが残っているのも人間かもしれませんが、
できるだけ後悔ないように、その時できることを恐れず取り組む中で
展開される現実を眺める人生もあるわけです。
何度も失敗を繰り返しながら、表現したいことをコツコツ積み上げるからこそ、
「出来上がり」「仕上がり」「完成」「締結」を見ることができます。
失敗のない成功はありません。失敗を重ねるから成功があります。
失敗が成功に変わるためには<調整>を重ねればいいだけです。
ゴールドメダリストのフィギュアスケーター羽生結弦選手は、
どの選手よりも失敗の中に恐れず飛び込んでいるという記事を読んだことがあります。
恋愛の相談で、傷つくことを恐れすぎるあまり、言いたいことを言うことできず
悶々として、しまいには「占い師を次々と渡っちゃ、うまくいかないとだけ言われて、凹んで、傷だけ増えて」というような話もとても多いのですが、
ファーストステージとしては、自分の気持ちに忠実かつ大事にすることが充足の鍵になります。
セカンドステージとしては、その気持ちを、相手の立場を考慮しながら、
相手に伝わる言葉(相手の自我を守った形)に変換して述べるという、技術が必要になります。
(愛ある関係性のグループワークで磨いていくのはこのセンスになります)
そのようにしっかり自分の気持ちに従って行動したり伝達したりしないと
ずるずると引きづり続けて、何年ということは平気で起こります。
一生懸命に蓋をしたつもりだったのが、
30年たったら突如思い出されて、思い出されて、
(タオセラピーの見地から、これは起こり得る話なのです。
30年で自分の自然エネルギーと180度反対のエネルギーが回ってくるからであり、
その時人は、自分がそれまでとっていた姿勢をガラリと変換させられる
気運のアタックに見舞われるからです)
恨めしい気持ちがこみ上げるというケースを伺ったこともありました。
気持ちは自分のために、相手にちゃんと伝えといたほうがいいですよー。
あとはご縁とか、自然の神の采配によるところも大きいわけですが、
そのご縁の種を付けるものは、やっぱり人の心であり、
その心から生まれる言葉ですからね。
ーーーかくいう私ですが、相当なビビリです、
怯えて言えないよっという方の気持ちもよ〜く共感できたりします。
でもそれは自分の心の弱さと欲の課題であると、タオセラピーで進むべき方向性を明らかにして以降、欲望の借金を増やさないためにも、積極的に気持ちを相手に伝える努力をしております^^
20年前に好きな人に会えるかしらと夢を見て、その人が勤める会社のある駅近の喫茶店でバイトしたことがありました。「偶然を装おって会えたら嬉しい」と非常に乙女な発想だったのですが(苦笑)、結局、一度も会えませんでした。しかもそのことを本人にも一度も伝えていなかったのですが(あまりにこっぱずかしくて)、去年の夏、やっと言えましたよ。頑張ったのです、私。
言われた方はどう思ったか知りませんが(何も言ってくれない)、悪い気はしてないのだろうということだけは理解できております。
目的は、相手の警戒心を解いて、私のその人に対する気持ちについての信頼性を感じてもらうためだったのでした。ちょっとは功を奏している気は勝手にしています。
欲望とは反対方向に運は宿る、ということについてもしみじみ考えさせられる、夏の夜なのでした。
ここまでは「恋」のレベル。
「愛」となると、そのキャッチボールを積み重ねながら<育む>中で育つものですからね。
「恋」止まりで「あの人とうまくいかない」、
といい終えるのも、何かもったいないものがあります。
努力すれば生まれるかもしれない「愛」の可能性があるご縁などのケースでは。
ただし、関係に於ける努力とは、自分の世界観の外に踏み出す勇気とタフネスが求められますから
「心の器」を育てることも、ポイントになります。
今日はこの辺で。
GOOD LUCK 🌙

たまには顔写真もUPしてみたり。
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