
10年ぶりに「No.9」のペンダントを着用しました。バーニーズニューヨークでかつて一目惚れして買ったものです。私は気学では「999」の人間です。「鑑定師」にももう少し軸足を置くならと、復活させました。INのワンピースはユングカラーレッド&ブラックで^^
パワーを失ってしまったと感じている方はいませんか?
そんなお話は、私におまかせください。
泣きたい時には、泣いたらいい。
悲しい時には、悲しんだらいい。
怒りを覚える時は、怒りを受け止めてくれる人とともに、それを表したらいい。
こういうことができるようになる時、人の心は柔らかく自由になります。
また、それができる時、
外の世界から自分を守る心の殻がしっかりと育ちます。
心を開きなさい。
—というのが昔、結構流行っていましたけど、
ある意味、私には
逆に傷つきが増える理由になりましたね〜。
なぜなら私の場合、「感情が固く閉ざされたまま」だったために
頭で心を開こうとしてしまったからです。
合理的に、自分ではないものに山ほどなるための努力をしてしまったのでした。
あたかも心を開いた風に
「明るい人を演じること」
「社交的な人を演じること」
「人の評価に合わせて自分を見つけ出したこと」
「物分かりのいい人を演じること」
「腹が立っているのに、立てても仕方がないと、合理的に取る態度を決めたこと」
ぜ〜んぶ、逆効果でした。
私にはないネイチャーだったからです。
「心を開く」外向きの態度というのが。
ネイチャーにそれがある人はいいですけど。
私は私自身についていっぱい秘密を隠し持つくらいがちょうどいい。
心を閉ざした生き方のほうが
ナチュラルな天然パワーが降りてくれるタイプだったのでした。
それでいいのだー。
自分だけのパターンを引き受けることができた時に、心は柔らかくなります。
外の世界の人に対して、本当の意味で「心を開いて」
等身大の自分を表せるようにもなります。
私はそうやって
渇望していたパワーの回復も達成しました。
自分らしさから逆走した経験があったからこそ、私は自分を探さなくてはならなくなりました。
自分らしさから乖離していると、本当におかしなことばかりが繰り返されました。
あーでもないこーでもない、あれかこれか、探して探し尽くしてついに!
世間一般の合理と正反対の場所に、宝のありかを見つけたのでした。
それは「心の殻を固く仕切る」時に
真に心が柔らかく開くということ。
そうなった時、私は「それまで批判的で否定的だった」家族に自分を表現し始めたのでした。
いいも悪いもなく、ありのままの自分の姿やありのままの感情を。
「めんどくさっ」となりもしましたが、踏ん張って、逃げませんでした。
相手の立場も考慮しながら冷静な説明も加えつつ、かといって「聞き分けのいい子」で事なかれでいくのでもなく、本気で腹から表現したおしました。(正直、根性が要りました)
(こういう技術が磨かれたのはカウンセラーを長くやってきたおかげです。相手の立場を守る複眼のレンズ磨きは、カウンセラーの命です。ご興味ある方はお問い合わせください。レッスンのご紹介をします❤️)
家族もオロオロ、いやいやしながらも、向き合ってくれました。
バッチリ理解できなくてもいいから、向き合おうとしてくれるその姿勢そのものに人は
一番感じるものがあるのかもしれません。
であるなら、片言でもいいから、ありのままの自分の姿を、腹からの言葉で
身近な人に伝える修行をちょっとずつ重ねていくことも、長い目で必ず生きてくるでしょう。
核心までわからなかったとしてもどうしようも無い全員異なる小宇宙同士というのが、人間と人間。
それでも、「私とあなたとを一緒にしないで!」「私はこういうことが不安になる人なの!」「私はこういうことが怖い人なの!」「私はこういうことしてくれる時にホッとする人なの」
いっぱい再三再四繰り返し折に触れて説明し続けてきました。
「そんなことができるなんて幸せね」と人は言うかもしれません。
そうでもありますが、努力なしで手に入ったわけでもありません。
私は胸を張って言います。
いろいろなものを犠牲にしながら、欲しいもののために、素直になり続ける努力を、惜しまず注いできた、と。
家族からの理解と、両親とは異なる気質の私であるまま、私自身が愛を感じ取れるようになるだけの理解し合うための話し合いができる家族を獲得すること。
反論を重ねてくる二人に、精神的なタックルを繰り返しました。
「どうせ言ったってわかってくれっこない」という諦めの想いを何度も何度も乗り越えるため勇気を絞り上げました。
両親も負けじと、本音をぶつけ返してきました。
それを繰り返す中で、私たちは家族一人一人の特性と、自分独自の投影の色眼鏡が何たるかを、見抜いていきました。
それというのも「心を開いて」いっぱい痛い想いをしてしまったことへの雪辱を晴らしたい一心でもありました。
私が私であることを、諦めたら、いったい誰が私を一番に愛せるというのでしょうか??
自分らしさのあるままを両親に伝えずには死ねない。
人生とは回る輪のようにして、万事オーライ、その人らしさへと還っていくものであります。
今、何かが違う、と感じられる感性は私は素晴らしい本能ではないかと思います。
それに素直に従い続けられるかどうかは、愛と奇跡の頂きにたどり着くか否かの別れ道なのでしょう。
どうやったら素直になれるかは、あなたのありのままに丁寧に一緒に寄り添ってくれる人と、
心の動きを追いかけていくことがポイントです。
それを繰り返すうち、ちょっとずつコツはつかめていきます。
私は言葉に細かいところがありますが、
「心を開きなさい」というよりも
「心に素直でい続けなさい」という言葉の方がしっくりときますね。
相手の立場にもちゃんと理解を向けられた「素直な言葉」は
たとえそれが怒りや非難であっても、その背後に「愛」があってのものであると
<響く>ことを、私はたくさん体験してきました。
皆さんはいかがでしょうか?
私はこの経験をたくさん重ねたおかげで
言葉の向こうにある「嘘」や「愛」が判別できるようになりました。
それは目に見えるレベルの正反対であることが9割5分というのが
私の最近の実感です。
言葉とは本当に厄介です。
それをジャッジする人間のマインドも相当な難所です😚
真実が見えていないのは、いつだって本人ばかり。
人間とは幻想の檻からなかなか抜けづらい動物ゆえに、
これまたお釈迦様をして「苦界」と言わせてしまうのかもしれませんね。とほほ😓
だからこそ、私のようなお仕事が求められる(役にたつ)わけでもありますけどね。
私は感謝感謝ですけど?!
皆さんにおかれましては、自分のジャッジ(認知)、特にネガティブ反応については、
ぜひとも「本当にそうかな?」と常に疑ってみてくださいね😉
今日はこの辺で💐
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