皆さん、こんばんは。
今日はどのような一日でしたでしょうか?
人の心の奥深さと向き合い続けて久しい、大崎智代子です。
今日は多次元トータルセラピー続きに、メッセージ鑑定に、と
ひときわ深い内面世界を、皆さんとともに旅しておりました。
人それぞれにドラマがあり、人それぞれ魂の世界観があるため、
どうにもこうにも他人との間で溝が生まれるのが自然ですが
自分の世界観にない応答が他者からあると、私たちはつい戸惑います。
「受け容れられていないのかしら?」と寂しさを募らせることもあります。
しかし、一歩引いて考えていただきたいのですね。
その人だけの独特な内的なエネルギー世界のために
自分にはない反応が返ってきているのだ、と。
そのあたりをつまびらかにして、関係性のあやを理解したい方のために
私のカウンセリングメニューは多様に揃っていますが
結局、相手のあるままを許し、信じ、応援し続けることが
一番の愛の特効薬だろうと思うのです。
そしてそれが愛の特効薬ということは
同時に、内なる寂しさも癒されます。
相手のあるままを許す時、自分のあるままを許す必要が出てくることが一つ目、
相手を許せない時とは、自分のあるままを許せていないから、
という方程式があるからです。
その上で<与える愛>とは、<相手の喜び>を提供することになり
自分のエネルギーの何かが、自分ではない誰かを
喜ばせられるという経験は、<私>が今ここで
実存することの充足にもつながれることが、二つ目。
こうなってくると<見返りが欲しい>とかのレベルではありません。
大切な人の笑顔が、私の幸せ。存在することの価値。
(かといって共依存的な暴力関係がいいとは思いません。
第一は自分を大事にできていることが重要です)
私は特殊な考えの持ち主なのかもしれません。
そういう星の生まれであることも確かです。
「与えて、人を活かすことができること」が
私にとっての<愛ある日常>であると
40歳を過ぎた時に悟ったんですね。
それでも私は人間ですから、寂しさを覚えることがないとは言いません。
私のエゴはとても家庭的で子供の頃の夢の一つは
奥さんになって二人の子供を持つことでしたし。
24というビジョンも見ていたので、
24歳の時にそうなるのかと思っていました☺️
しかし、今はそれは「2024年のこと」じゃないかな、
と勝手に思うようになりましたが。(わー、御都合主義!?🤣)
でも、ここには私の劣等感があります。
寂しさが立ち上る時は、エゴの修行、
私が私になるための修行、
私の魂が個性化を達成するためのエネルギートレーニングと思って
受け容れています。

泣き出しそうな空の美しさも客観的に味わうことができるようになりました。泣きたい時は、泣いていいんですよね。あなたの中の泣きたい空は、今、何て言っているでしょうか?
<私、与えているかしら?>
<もっと与えることができることが残っていないかしら?>
<何を与えようかしら?>
<相手が喜びそうなことは何かしら?>
と、自問自答します。
もっとも、そういうことができるようになったのも
私が長い時間をかけて、人とはちょっと違う
特殊な自分をたくさん許して、受け容れて、愛してきたからです。
自己愛が満たされるとき、大切な人を愛し守ることができるようになります。
私のお仕事は、大事なクライアントを、あるままに守ることでもあります。
その背後で、私は家族と山ほど話し合ってきました。
心のしこりとして、自分を愛せない理由の一つに
家族が私を受け容れないという構造が
長きに及んできたことを挙げられました。
山ほど、両親に説明しました。
あんなアングル、こんなフェーズ、コンコンと説明し続けました。
時間というプロセスの中で、親の言うことを聞いて行動すると、
ろくなことが起こらないと言うことも、体を張って立証しました。
まさに、東洋自然思想で
「家庭は西に位置付けられ、それは闘争の場所」
と言われている通り、頑張りました。
両親も一緒に頑張って、自分たちと正反対の
個性を持った娘と向き合ってくれたと
今では感謝しています。
今年の私の喜びごとは、父に44年目にしてやっと
「お前、才能あるよ」と言われたことです。(感無量)
母は未だにそれを認めようとしない節がありますが、
それでも今年の初旬、
私のカウンセリングチケットを購入してセッションを受けた時
普段、娘と対話している時と違う、
私の姿に「これなら、皆さんリピートくださるわけだ」と
父に太鼓判を押してくれました。
やっと私は私でいいのだと、つかみとることができた、
そんな感じです。
闘いも、愛がなければ、力が湧いてきません。
愛はどのようにして培うかといえば、
「私は私のままでいいのだ」という圧倒的な安心感と自信です。
そのために私は心理カウンセリングを山ほど受けて
自分のあるままをたくさん写し返してもらいながら
自分らしさを受容するすべを獲得し
さらにはカルマのレベルの不可思議さをも受容する闘いを
タオセラピー通じて展開しました。
結果、どうにもならない私こそが魅力であると
理知的にも受け容れられるようになりました。
どこか不安定さを感じて、苦しいともがいていた20年前はもはや嘘のよう。
確かな自己を感じて満たされました。グラウンディングとはこういうことかー。
少しでも多くの人がそれを感じ取ってほしくて、
このお仕事をしていますが、
さらには、私一人ではなく、たくさんの人が隣にいる誰か、
心のどこかに寂しさを抱えているかもしれない、
あの人に、愛のともしびをつけて挙げてほしくております。
そのためにも・・・私にできること、企画を、ちょっとずつ練り上げていく
素案も、練っていた今日であります。
特に「言葉」の大切さについて考えたのでした。
そのきっかけとなりましたのは、今日のとあるクライアント様の
(手前味噌ですが)「感想コメント」に
「エネルギーを受け取ってもらえた〜💕」と
素直に嬉しくて、癒されたからです。
私は私流のスタイル、理屈で考えたらちょっとおかしなスタイルこそが
天命に即した、人のためになる存在でいられるのだ、と。
オーバーにいうと
私は私として生きていていいんだ〜と、許される感じです。
本当にどうもありがとうございます。ご縁に感謝です。
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