問題・症状とこころ

私には数多くの問題症状がありました。

こうして改めて書落とし、整理してみると、なんて心の弱い自分なのかと情けない気持ちも湧いてきますが、いやいや真に強い人間など、どれほどいるだろうか? という思いもあります。

一見、自己を保ってうまくいっているように見える方であっても、深層は計り知れません。もしかするとその人は単に、運気の後押しによってまとまった人間であるかのように見えるだけのことかもしれません。あるいは心が強いのではなく、我を強く押し出してうまくいっている風に見えているだけのことかもしれません。

真に強い心とは、しっかりと自己を保つ外枠を持ちながら、その内側は柔らかく和みがあるために、柔軟に状況を転がることのできるものであります。何か自分の予想外の出来事に面した時に崩れたり、自己を見失ったまま不毛な行為に翻弄される心を弱いとするなら、その心は、自己と他者との違いを識別することの難しい状態を保ち、それがゆえに、自分の中身(自分の本当の想いや感じていること)を感じ取れなくなっています。その結果、<私>という存在の殻がないため、心をぎゅっと頑なにして身を守ることになります。例えるなら、屋根のない家に住んでいる人間のようにいつもどこか不安定で、オロオロとした状態になります。

そんなことを10年近く自己と向き合うことを通じて掴み取ってきた今、

私の非常に惨めで恥ずかしい個人的な物語は、同時代を生きる誰か(このページをご覧になっているあなたもそうかもしれません)の報われないままになっている魂の叫びにも等しいのかもしれません。ちょっとだけ先にその魂の叫びに対する答えを開拓して見つけ出したものとして、私に起きたことを一つのたたきに、心と精神世界の深遠な謎を紐解く秘密を、感じ取ってもらいたくて、その外郭をつまびらかにしたいと思います。

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そもそも<自分は何かおかしいぞ>と、初めて意識されたのは大学生のときでした。

こころが、自分でもよくわからないままに、無意識のうちに、あたかも初めからそうであったかのように、突如、暴力的に自己を崩壊できるものとは知らなかったときのことです。

★不登校

★暴飲

★摂食障害

私は、幸か不幸か、理性の強い性質であるため、はためには健康水準の人間ではあるものの「ひどい(よくてもパワフルな)やんちゃ娘」ぐらいに映っていたと思います。同級生に「魚雷」に例えられたこともありました。

ケアが完了した今、ふりかえるとそれは「人格障害気質」および「統合失調気質」に由来しており、「発達障害気質」や「自閉症気質」もまじりあっていたわけでした。

現実的な出来事として引き金になったのは、初めての失恋でした。

(今思えば)心が育っていなかった私は、「うまくいかない」=「自分が悪い」としか、受け止めることができませんでした。

両親も大家族も、それまで私を「悪い」「問題児」として、扱いずらい対象にしました。私の言い分に耳を傾けることもなく、頭ごなしに主張を押し付けられました。おまけに、私は発達障害の要素がありましたから、自分が認知している気持ちを言語に落とすことを苦手としていました。怒りをあらわすことはできても、何に怒りを覚えているのかまでは、伝える力を持っていませんでした。この傾向は、大人になってからも問題(トラブル)の温床になりました。「本当は嫌」と感じているのに、「いいよ」と言葉にしてしまう自分に結果的に苦しめられるのでした。「本当は自分は何を目指していて、どのようにしたいのか」という欲求の知覚が未発達であったためです。このためにかかわった方々にかけた迷惑は今思えばたくさんあったのだと反省させられます。

耳を傾けられもせず、伝える言葉も持たないのであれば、コミュニケーションは成立しません。私は愛を感じられないまま成長しました。

理性が強かったため、勉強の成績は努力によって伸ばすことはできました。そして、好成績をおさめたときには、承認を得ることができました。そのほかのシーンでは、両親との相性が悪いのか、バトルしかありませんでした。

複雑に心的エネルギーが成長したため、統合失調気質を助長しました。親への愛着があり、親の愛情を求めて、いい子であろうとするために勉強に熱を入れましたが、そのほかの面が受け入れられるどころか、横やりを入れられ否定されることへの怒りをもてあましました。愛情と怒り。逆方向に流れるエネルギーのダブルバインドにかかりました。

基本的には、親に愛情を求める心の強い性質であったため、(受け止められないがゆえに)無意識にふくれるの悪感情(理解されないことへの怒りや憎しみ)を自分ひとりではどう受け止めたらいいかわからず、意識下に抑圧・抑制し、「いいか悪いか」で世界を両断する、人格障害気質の形成につながりました。それでも腹の内に抱える「怒り」のエネルギーに翻弄されつつも、どうしたらいいかわからず「むくれた顔になるしかない私の子供時代」の家族写真が、今も残っています。

とどめを刺したのは、親子の因縁でもあり、私のカルマの問題もあるのですが、(子供にはそうとは認識できない)、「悪い子には授業料をださない」という父親の脅しでした。何をもって「悪い子」かというと、「いたずら」をしたわけではありません。親の言い分と違う価値観を主張する子ということだけのことでした。ただし「発達障害気質」とは誰も知らないので、私が「感じていることを言葉にできていない」とは親もわかりません。私の主張も今思えば、偏りがあり、伝わりにくいものであったとは思います。ですが、おかしなものですが、本人は一生懸命に伝えているつもりになっているということもあり、どこまでいっても「自分は親に理解されない」という気持ちを累積させました。

「この家を早く出ないと、自分は生きている気がしない」という気持ちも育ちました。

そして、「お父さんは男の子がほしかった」という話や、実際に授業料の問題をめぐって「こんなバカ娘に出すくらいなら、いとこ(男子)にだす」とまで暴言をはかれたことなどにより、<父親は私を愛していない、少なくとも大事に思っていない>、と認識するにかわり、「男性への怒り」を募らせました。同時に、自分が「女性」であることが忌まわしく感じました。ジェンダーに対するコンプレックスの発芽です。

カウンセラー目線で冷静に父親の立場を眺めれば、父こそ「軽口をたたいている」だけのことかもしれませんが、「親が絶対的な存在に感じられる子供」の立場にしてみれば、いえ、あるいは私のまじめで純粋すぎる気質ゆえんか、親の一言一句を真摯にハートで受け止めてしまったのでした。

私の人生最大のテーマでもある「魂の相克との闘い」、その片りんは、思春期のころから現れました。私の内面が言葉にあふれているせいでもあったのですが、「作家」になることを夢見ました。ですが、作家をはじめとする芸術家は「お金に苦労する」という母親の心配もあり、その希望を伝えたとき、見事に反論されました。「普通になること」を諭されました。「普通とは何か?」、さっぱりよくわからない見解ですが、「マジョリティー」であることを母は望んだのでした。その押しの一手として言われたセリフ「あんたにはそんな才能はない」の呪縛に、長年苦しむことになります。

今、母は「そんなセリフは1度いっただけだ」と主張します。私には3~4回ごり押しされたように記憶されています。真実は誰にもわかりません。

ですが、こころのケアを中心に考えるなら「主体」の主張を第一に配慮します。そのひとにとっての真実をカバーし、フォローし、味方し、寄り添うことが、強い心、健やかな心を育てるからです。伊達に合理的に<実際はどっちだったのか>と問い詰めても、心の安らぎの助けにはなりがたいものがあるのです。

私の真実において、母の<才能がない>発言によって、心がパリーンと粉々に砕けた日のことは昨日のように覚えています。それが、そんなにも自分の生命において肝心なことであるとは、まったく認識していないのにもかかわらずです。

正直、今でも私はいつも「自分は平凡な人間で、才能というテーマをめぐって、運命の輪のなかで苦しむだけの人生」ではないだろうか、と憂いることはあります。そういう可能性は、ひとの運命のなかで多いにありうる筋だからです。一方、その憂いを背中に負いながら、「達成するかどうか」に焦点をあてるのではなく、「達成するかどうか」もよくわからないけれども、「魂が求めることに従事することの、安息こそが平和の糧であるから」という理由のもと、そこに向かってコツコツと現実を構築することに価値を置くことこそでこそ、「結果」というのは生まれるのだ、という信念でもって、自己を支えてもいます。

できるか、できないかを憂いて、現実を恐れてばかりいる姿勢こそが、「運命の輪」に巻き込まれていることになります。「運命の輪」は巻き込まれたままでいるのではなく、自らの手で回すことに、喜びがあると、私は理解しています。

人生初期に、両親との関係で<関係性としての愛>と<自己のあるままを愛でる力>を見失いました。

この状態から展開された、20代~30代半ばまでの出来事は、トラブルとストレスと自己矛盾からくるぎこちなさの連続でした。

自分の中に愛がないために、自分にとって愛ではないものと、多数かかわってしまったのでした。

(こういう言い方をすると、お世話になった人たちに非常に失礼な感もあるように思われ、はばかられましたが、未熟なときにお世話になったことに対する絶大な感謝はあまりあまるほどであることと、私が自分を欺いて生きざるをえなかったために生んだ罪深さの一つであるという、自覚があることで、この言葉の真意を理解していただけたら嬉しく思います)

ですが、その道のりがなければ、私は私の愛のありかを見つけられないという、法則のために、すべての傷つきは必然であり重要なコンテキストなのだと、深い受容の念をもって感謝をしています。自分中心のものの見方に思われるかもしれませんが、人が命をまっとうするとき、その世界の中心は<本人>になります。<本人>のもののみかたや世界観を大切にできなければ、他人のものの見方や世界観を大切にすることはできません。

現象としてでてきたのは、次のとおりでした。

★離婚

★仕事(キャリア)の悩み

★占い依存症

★マッサージ依存(そうしないと身体が動かなかった)

★買い物依存(寂しさを紛らわした)

★借金

★人間不信

掘り下げてみれば、私の<孤独に弱い気質>や、<自立方向に進もうとする魂を受けいれられない主体者の問題>が、ここにはあったのでした。

 <どのようにケアは進んだか>

砕け散った心のかけらを一つ一つ、落ち穂拾いのように集めていくための、心理セッションを重ねました。

私はいったいどのような存在であるのか? 過去から現在にいたるまで、くりかえし点検し、防衛のために固定化させた世界観をひとつひとつ修正しました。

ユングの錬金術のワークとの出会いによって、意識にはのぼってくることの難しい、無意識のさいはての地に葬りさられた<私の真実>との対面と和解のための心理セッションへと、その意味はじょじょに深まっていきました。

その過程において、自分自身、受け入れることのできない、ある立場から見たら<醜い(と思われる)私>や、他の誰にも理解されることのないであろう(それがあまりにも論理や合理を超越しているため)、おのれの不可解さをまるごとあるままに、受け止め、肯定的なものの見方をもって、言葉でうつしかえしてもらう自然な対話を通じて、「自己の等身大の活かし方」を少しずつ身に着けることができました。

過去に置き去りにした感情を認めて、愛でて、自ら癒す術を磨くことで、本当に自分が求めていることが何かを知覚して、それに時間と労力を現実的に与えるたくましさが、養われました。

受け入れがたい自分を許すことで、広い心が培われました。自分とは異なる世界観の人間の行動をみても、自分の中にも同じ要素が隠されていることを見出し、それをも許すことができるようになりました。それはつまり、人間全般に対する<許す力>が鍛えられたことを意味します。

幼少のころから、私が追い求めたものは<愛>でした。

<愛とは何か?>

紐解き、紡ぐことのできる大人になるのだと、7歳のときに決断しました。

まさか、そのような魂を持ったものは、人生のはじまりに<愛を与えられないことによって探求が深まる>という、ある種エネルギーの全体性の法則(自然エネルギーには補償作用があり、すべてを経験しようとする傾向があり、何かに一辺倒でありつづけるということは、難しい)があるとは、思っていませんでした。

そのため、人生初期は家族からの愛が、思春期以後から大人に至るまでは、異性からの愛に恵まれませんでした。「いったい、なにがどうなって、そうなるか?」私の好奇心は刺激されて、愛を追いかけ、研究をつづけました。

結論はありていですが、<愛は外に求めてもない>ということ。そして、<愛は自ら感じ取るもの>であり、<愛>を感じ取ることができない場合は、<自己(アイデンティティ)の定義>にズレがあり、<自己(アイデンティティ)>が自然なそのひとらしさと合致するとき、そのひとの心の器のなかで愛の炎がともされます。

そしてこの状態を獲得しているもののところに、愛の精霊が味方するのだということも。(つまり、現実的な愛の豊かさを精神的にあるいは物理的に与えられることにつながります)

こうして私は、パリーンと粉々に砕けた心の器を作り直していったのでした。

それに比例して、現実における問題行動や、問題現象は、少しずつ鎮静化していったのでした。

<それでも繰り返される問題>

それでも私には繰り返される問題がありました。

★異性との関係の問題

★お金の問題

★身体が思うように動かないという点

論理的な問題でも、心情的な問題でもない。これらを畑を耕すように精錬し、知恵を養ったことは、現実における実践技術として、とても重要なカギではありました。

けれどもそれだけではどうにもならない、量子物理レベルとも思われる「気」の問題があったわけです。

そもそも生粋のものだけに、足が長い短い、細胞の数が多い少ないというように、宿縁とも思われる領域をいったいどのようにすれば調整することができるというのか?

古代東洋統治者のための知恵を得たとき、その解を得ることができました。

それについてはプロフィールとして「カルマと一つになる」にてまとめますが、

そもそも「こころ」とは何でしょうか?

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