
肩の後ろにピンクベージュのつば広帽子がおいてありますが、あんなクラシックなのを被る私というのは、ロマン主義者という定義が合うのかなと自己を再認識です
節分あけて、新しい年の気がやってきました!
皆さんは、どのような境地、昨年との違いを感じているでしょうか?
私は、脱皮の予感がいっぱいです。
おそらくこの1年を通じて、私は次のステージ作りのために
今まで無意識に展開していた「ロマンの扉」を
積極的に開きはなっていくのではないかと感じています。
私はタオセラピーを通じて自分の性質をしらみつぶしに調べ尽くし、理解しています。
性分の一つにある「不安定な結末になる」自分をわざと生きています。
わざと自分から何かを仕掛け続けて、不安定感をわざとキープするのです。
そうしないとどうなるか?
安定を求めると、不安定な状況が運命によって押し寄せてくるのです。
それじゃあ、人生に振り回されている感じで、嫌!
どうせ不安定なら、自分で不安定さをつくって、それをコントロールしたい!
その方が心身健全だ!ーーーというのが私の発想です。
不確実性を嘆く方は少なくありませんが、
生まれたことそのものが不確実であることに目を背けてはいけないと私は思います。
人生は冒険の連続。うまくいくときもあるかもしれないけど、ハードル続きであることの方が一般的ではないかと思います。
商業の世界では、夢を売ることがベースにあるために、あたかも安定的な平和であるかのように見えるある一瞬だけを切り取り、あまり人生そのものの浮き沈みの本質についてはフォーカスされることが少ないですけど。
私はこの不確実な冒険を避けるために、(危機管理ぐらいに本人は思っていました)ケチで安定的な路線を選択しようとすると、心の病に襲われました。
なんじゃ、それ? ですが。まあ、そういうものなのです、
未知なる心と精神のエネルギーというやつは。不合理。
心理カウンセリング▶︎深層心理▶︎タオセラピーと目に見えない私の性分を明らかにした時
挑戦と冒険の連続である時に、私の心の病がピタリと収まることを知ったのです。
私のハートの中心にあるキーワードは「ロマン」だからです。
算命学を知る方ならご存知かと思いますが「龍高星」と言う種類のエネルギーが
胸の星にあるからです。
今日、私はデザイナーのAさんと販促ミーティングを行いながら、その核心をうっかり忘れていることに気がつきました!
<自分だけの勝ちの戦略>を紐解く時、私は自分のエネルギーの原型を書き出して、にらめっこをします。(下の写真/タオセラピーや開運スピリチュアルカウンセリングではこのようななその人だけのエネルギーの見取り図を片手に、問題の核心を割り出します)
エネルギーの回し方の再点検です。
自然の「神」が最も味方してくれる方向性が見えてくるからです。

100均で買ったホワイトボードに打ち合わせ時のメモ、対話を通じてアイディアがボコポコと浮かんで
手前味噌ですけど、私の性格はとても真面目です。生真面目です。ど真面目、大真面目です。
しかも、他人様の運命にかかわるのだ!となった時、ど真面目に追究をしました。
父親は東京大学の法学部卒、母親は日本女子大学の英文科卒、二人とも読書と勉強が大好きで、アホなほど真面目さを叩き込まれたせいもあるかもしれません。
そのため、納得いくまで、運命と心の秘密を研究していくうち、この数年でいつしかものすごく「理屈っぽい人」に振り切ってしまいました(苦笑)
「龍高星」はクリエイティブな星ですから、論理性は確かに優れています。その論理性が、私のコンプレックス(立場のない人生に対しての劣等感)と相まって発動しすぎてしまったのです。ふふふ。私は不器用❤️
しかし、デザイナーAさんは、しきりに私の論理性を邪魔するようなコメントをします(笑)「大崎さんはもっとふわっと、完璧な伝達を求めない方が」というのです。
「ん?この真面目街道まっしぐら学究肌な私なのに!?」と違和感に思って振り返った時、デザイナーAさんが「もっとふわっとした感じ」と言っている部分は、「ロマン」という特性をお忘れですよ〜ということだと気付いたのです。
そうだ!!「人生は一度っきり」というセリフを大学生の時、言ってくれただけで、私は20年もその人が好きになってしまうような人間!!
名声もお金も肩書きも顧みず、ひとえに「夢と希望とロマン」への旅に瞳を輝かせていたあの頃を思い出そう!
事実、与えられた枠から飛び出し、本当に夢を追いかけた、無鉄砲で無邪気な私。
現実で波あり山あり谷ありで苦労を重ねて傷つきを覚えるたび、そんな自分の性質が「生きにくい」と知らぬ間に煙たくなってしまったのですね。
でも「個性」とは、どれどれかがいい性質で、あっちの性質はあまり発動させないように、というのでは輝きません。
すべての特質が一斉に受容されて解放される時に、個性は輝きます。
確かに私は自分のロマン魂ゆえに、誰にも想像することもできないような現実に直面化し続けました。
振り返れば「アホだなー」と自己批判的な自分も居ます。
しかし、無鉄砲なロマン魂こそが、私の輝きであり、周りの人に与えられる希望の光であることを、今日、再び思い出しました。
もちろんそれを斜め上45度から見下ろしている自己批判的な私も楽しんでいます。
今日の午後はちょうど「タオセラピー考算命学」の授業もあり、今朝4時までかかって作り上げたテキストにもそんなことをまとめたばかりでした。

占いの世界から一歩さらに奥に踏み込んだ、高度な内容のため、家に帰って何度でも頭に叩き込んでいただけるように、講義のセリフを全部テキストにしています。さらっと話すだけでは、抜けてしまうだろうという配慮。魂の流動性をいかにして「玉転しするか」の前提概念をコンコンと。
悩みや苦しみを小さくするため、個性をいかに活かすかというと、すべての相矛盾する性質をひっくるめること、と。
ですから、私はみなさんの性質のすべてがどのようにすれば一斉に光り輝けるのか?
混沌としたエネルギーの回路を整然と組み立て直すためのサポートを、頑張らさせていただいているわけです。
「生きる」という冒険物語、
長いトンネルをくぐり抜けて光ある方に旅立つ物語、
それはロマン以外のなにものでもありません❤️
もしも「病気」という言葉があるとして、
それは「魂が夢を見ているせい」なわけですが、
「魂がロマンを求めている」とも言い換えられます。
結局、人生は「ロマンの塊」なのですね。
どんな出来事も、どんな登場人物も、結局は、愛に続く道なのです。
愛は、ロマンを許す中から生まれますから。
逃げても逃げてもそれは追いかけてきます。
「いつになったら、許してくれるのかな? 飛び込んでくれるのかな?」
そんな風に待ちわびている、恋のメッセージでもあるのかもしれませんね。魂からの。
病とか事件とかトラブルとか不協和音いうやつは。
好きな人に振り向いてもらいたくて、一生懸命だった経験はありませんか?
健気でいたいけな魂はいつもあなたのことを、そんな風に待っているのですヨ!!
今日はこの辺で!
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