昨日は先祖7代の家系図(ファミリーツリー)をご提出いただき、ご先祖様の生年月日から、自然宇宙の中にある<家族の魂>の大きな動きをリーディングしました。ご相談者様の自己実現に向けて「統合すべきエネルギー」を心理ワークとタオセラピーのワークでマスターしていただくためでした。私の全スペックを利用したプログラムになりますので多次元トータルセラピーを終日(Oneday)たっぷりと行ったのでした。
と言いますのも、私たちは無意識のうちに、「家系の恩徳」を忘れがち(放棄しがち)だからです。それは今この瞬間にもその人のもとに降り注いでいます。しかし悲しいかな「両親に対する心のブロック」が存在すると、それを受け取ることができません。そのために「自己一体感」やフルパワー感を得難くなるというトラップが存在します。
ゆえに昔からご先祖さまを敬いましょうとか、お彼岸には御墓参りをして、という習わしがあるわけですね。
古代東洋思想では、「もしも子供が欲しければ、先祖を敬いなさい」という考えがあります。これはエネルギーの論理として穿っています。無意識の補償作用です。個人の力量で子供という一大ドラマが生まれることは難しいのです。それは自然の大いなる力によって吹き出すパワーです。次世代を生み出したい(芸術家が作品を生み出すことも含みます)のであれば、自然の恩徳、それ即ち先代の<気>を頼ることです。
産もう、産もう、ともがくのではなく
「ご先祖様、私をここまで導いて下さり、本当にありがとう」というやわらかな感謝の心を持てると大きく違うでしょう。エネルギー開花を促します。
子供が授からないと悩まれるケースでお越しくださる方には、この観点は必ずチェックしていただきます。子供が欲しい欲しいともがくのは産みだす行為ですが、そのためには両親を始めとするご先祖様への畏敬の念が要ります。ご先祖様があって私個人が存在するというのは結局、自然の大いなる采配という、究極の神秘によるからです。自然災害には私たちが太刀打ちできないのと同類と見ていただけるとわかりやすいかと思います。
最近は医学の発達によって不妊治療が一般化しています。それは自然の力を後押しする一選択です。しかし、それとてご先祖様のエネルギー傾向を否定したままでは、その方の「ナチュラル(自然)」は発動しづらく、本能からの子供というのは生まれ難いでしょう。
ただし、中には「親子の縁が薄い」というカルマがあります。その場合は、根本的な生き方の調整が必要になります。開運スピリチュアルカウンセリングやタオセラピーではここをサポートします。
また世には親を敬っていなくても子供が産めるケースがあります。これは実は「特殊な運」が背後で動いています。しかしそのツケは人生後半で経験させられるものですが、その瞬間の問題としては見えせん。
大多数の「私はどうして今、うまくいかないの?」のお話は、「特殊な運」と縁遠いタイミングだからであり、あるいは「特殊な運」が終わったタイミングだからであり、「心の器」が脆いか、存在しないか、だからです。
「心の器」とは
「宇宙や人生の様々なものを受容する大きな心です。
自己を慈しみ、自己と異なる他者を自己の一部のように慈しむことができます。
それというのも、その器の中でゆったりと安らいだやわらかな気を保つことができているからです。
また、それは、器の輪郭が堅牢な館のようにゆるぎなくがっちりとしているために、
自己と、他者との境界を守ってくれているからこそです」
この「特殊な運」はない方がいい面も色々とありますので、それが今回っていないからと、必ずしも悲観する問題ではありません。
それよりも本人の「心」をいかに磨くかが、いつ何時も(特殊な運があってもなくても)、自然界からすると重要な問題です。自然エネルギーはその「心の器」の状態のままに現実で反映されるからです。
何れにしても<自然に従う>という戦略は、限られた命を最大に伸ばす知恵と私は捉えています。
そこで点検したいのは、ご先祖様の扉を開いた最初に存在する「両親との関係」です。
「両親」を許すこと
「両親との関係」を調整すること
「両親」が持っている<気>を自分も生きられるようになること
です。
そのためには「両親に対する感情的なしこり」(怒り、嫌悪、否定、悲しみ、恨みつらみなど)をたっぷりと燃焼させる心理カウセリングは有用です。
しこりがあると、ナチュラルに腹から両親を受容することができません。頭で親を理解しても、自然本能では、ふつふつとした怒りのマグマ状態でしたら、天も(ご先祖様に通じる扉)はなかなか開きにくいものなのです。
親子の問題というのは、なんと多くの人が抱える謎の一つでしょうか。
理解された!理解しあった!そうなることを誰もが望んでいることと思います。
「親子の問題について諦めきった方が得策」なのは、先日のブログでご紹介したような「パターン」を持っていらっしゃる方です。
潜在的には「親に受け止めてもらいたい」という切なる「自我の叫び」があって当然です、「こころ」の自然なカラクリです。心理のカウンセリングではこのエネルギー燃焼を促進させることが可能なため、私は心理カウンセリングという技法を愛してやみません。
心理カウンセリングという特殊な対話を通じて、自分自身がいかなる無念さを抱えているのかが、見えます。対話をしないでいると、それはいつまでも燻った炎のままですから、欲求不満を募らせる一方です。
それらの一つ一つ、諦めきれない想いをたくさん労わるのです。そうしなければどれほどそれを諦めたほうがいいと頭でわかっていても、腹から諦め切ることは難しいものです。
実際の場面で、何度でも対決・直面化し、何度でも傷を負い、徐々にその姿勢を諦めていく流れもありますが、心理カウンセラーの目論見は、その方の実際場面による「傷つき」を最小限に食い止めてさし上げることと、私は考えています。
その過程で「無自覚だった本質の自分の願い」に触れる時、親に対する言動が変化します。その時、親の反応にも変化が生まれます。関係性も変質します。
その人だけが所有するパターンとは、「完全燃焼」を夢見ています。心理のカウンセリングで山ほど「ロマン(夢見と嘆きと悲しみ)」を表現していただくことによって、その問題からの卒業を果たしていきます。カウンセラーの仕事は、その燃焼率を高めるガソリンです。
過去の私の親子関係は「最悪」の極みでした。精神的な虐待だったと今振り返っても思い返されます。心の器が育つどころか、パリパリに砕け散ったガラスの破片となり、私という存在が福笑いのように、目鼻が三々五々にばらけていたため、やることなすこと無目的無鉄砲すぎて、自分自身が一番意味不明な自分に苦しんでいました。
この話をすると親(特に母親)は嫌がります。母には母の立場と世界観より「一生懸命に愛情を注いで育てた」と思っているからです。
価値観と世界観の異なる二人が一生懸命に自己を主張しても平行線です。そこで私は言い方を工夫しました。
「全部、私の投影です。私の世界観のせいです。お母さんが悪いのではありません。しかし、お母さんは私という子供を産んだ以上、子供の世界観がどのようになっているのか?に興味を持っていただきたいのです。そうしなければ、あなたのお腹から生まれた子を真に理解した(愛した)とは言いがたいのではないでしょうか。親と子供の世界観が異なるのは、自然の摂理です。赤の他人以上に、親と子供で、陰陽のセットになるのではありませんか」
と。
この論理は、母が知性的な人間であったために、通じました。しかし、情緒的には、私が自分の世界観をつまびらかにする過程で、何度でも「抵抗」を示しました。
母には母なりの「良かれ」があるからですし、母の価値観として守ってきた姿勢があるからです。母の娘である私に、その母の守ってきたものを、オセロのようにひっくり返さないと受け容れられないような価値観ばかりを告げられるからです。
「抵抗」そのものを否定することは、<個性>を傷つける行為です。私は「抵抗」をも大切にする心を鍛えてきました。
母が「抵抗」を示すたびに、今度は私が母の世界観に耳を傾ける必要がありました。
「何のために抵抗しているのか?どのような価値観を守るために抵抗しているのか?」
と、問いました。母独自の価値観が飛び出します。それは私とは180度異なる価値観でした。
私たちは、「180度異なる位置にある宇宙の人間同士が、求め合っている」という根本の立ち位置を、お互いに理解しあうことから始めました。
このような話し合いを何度でも繰り返しながら、母は私を理解し、私は母を理解しました。母のありのままの姿は、私が理想とする母の姿とは180度異なることを私は受け容れました。その途中で「がっかりとした絶望感」も味わいました。しかし私の理想とする母の姿は所詮、私の魂の一部であり、私がなるべき母の姿の投影であるという、カラクリを理解する専門家ですから、立ち直るのはそれほど難しいことではありませんでした。
また母が私の口伝で教えた「算命学」のエネルギー論は、私たちお互いの違いを受け容れる上で大きな助けになりました。
また「タオセラピー」の技術を持って、「どうすれば私たちは快適な親子関係を保てるか」も割り出しました。
決めた一定の時間以上(特定の時間帯)は関わり合わないというルールを見だしました。関わり合う内容も、「関係が上手くいくテーマ」に絞りました。「関係が傷つく話題」については、お互いに「向き合う心の用意が整っている」時に絞りました。
ビジネスの場面で例えると、テーマ設定された会議への参加の意思を持っている時に似ています。
また私たち家族は「親子が理解し合わないと娘が仕事に立ち向かう精力が自然物から立ち上がってこない」(私は本能からの力が湧かない場合とかく論理で仕事を押す進めて、結末で無気力になると云うパターンがあります)=「路上生活者の結末」が予測されることを、意識しなくてはなりませんでした。
私がはっきりとロジックを持って説明したため(タオセラピーの技術を説明することから始めました)、これについては両親ともに本気で向き合う覚悟を10年かけて磨いてくれました。実際に私の過去の歩みがそれを正しく(無意識に、魂のレベルから)表現していることは、激しく抵抗し否認したがった両親とて認めざるをえないものでした。
先日、ニュースにもなりましたが、評論家の西部邁さんが自殺なさいました。父と同級生でした。学生時代に同じ寮にいたそうです。同窓会好きの父のレポートによると、その年代の方は、その年に多くの方が、お亡くなりになられているようです。そういう気運が前進する方向に回ってきていました。それは現実や肉体が180度ひっくり返るというものでした。肉体の傷つき、現実の反転を余儀なくされます。西部さんの場合は、「死」という形で。私の父は、今まで関わらなかった娘と現実的に関わりを持つという形で。
私の父は、「長生きすること」が生きる動機にある人間です。そのおかげで本能的に現実の気の変質を察知して、そうなったようです。それまで娘の問題というと煙たがって、全部母に押し付けていたのですけど……。本能の通りに生きられる父は、まあ、良かったね、と娘としては思います。本能が守られる環境を配置されたタイプです。
このタイミングで、やっと家族が一丸となって、本格的に<家族の魂>を生きることができるようになりました。それまでの私たちの家族の魂は<分裂家族>でした。
分裂した家族をまとめたいとファミリーセラピーを受けるとしましょう。その時に、グループの魂の動きを読めないと、かえって分裂度を加速化させるので、注意が必要です。
分裂家族は、エネルギー燃焼しきるまで、分裂のままにしていかにまとめるかを検討することが、最重要です。分裂したままに各人の「個」を守り、「個」の成熟を見る必要があります。その上での連携スタイルを編み出すのです。その分裂構造をバランス良く保ち切るという、<独自の家族としての個性>が確立されきった時、ある時を境に、その家族の魂はひっくり返っていきます。
そういうプロセスの最中であるにもかかわらず、分裂構造ではなく融合構造をあてがってしまうと、大きなエネルギーの反目を買います。もっともそれをきっかけとして、さらなる軌道修正ができれば、結論は辿り着く場所にやってきたとなるのですから、それほど心配もいらないのですが。
いずれにせよ、エネルギーは陰陽、見ている世界とそれと正反対の世界と、どっちの世界も<是>(ありうる)という大局的な視点はとても大切です。その意味で<最後まで諦めない心>も<得られないものを一旦は諦める心>と同時に必要です。心を軽くケセラセラと楽にして粘り強く。
長くなりましたね。最後までご一読ありがとうございます。何かのヒントになりましたら幸いです💞

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